※学パロ


、呼んでる」

 自分の名前を呼ばれ、はふと顔を上げた。何事かと声のした方を辿れば教室の入り口で仏頂面の男がこちらを見据えていた。人一人くらい殺せそうなほどの鋭い眼光はまっすぐを貫く。
 広げかけた弁当をそのままに、小走りでその男に駆け寄る。すると男は眉間に皺を寄せながら手に持っていたパンの袋を掲げた。それが弁当を持って着いてこいという合図なのだとは賢く察した。

 急いで踵を返し、自分の席へ向かうと同級生の十六夜アキがきょとんと自分を見つめているのに気づいた。彼女とはいつも一緒に昼食をとる仲である。が申し訳なさそうに頭を下げれば、アキは苦笑しながら言った。

「いってらっしゃい、

 ひらりと手を振る優しい彼女に感謝の念を抱きつつ、は教室を後にした。
振り返って騒がしい教室を盗み見る。視界の先ではアキがコンビニ弁当を味わっている遊星の頬をぐりぐりと押しつぶしていた。遊星は口の中のものを出さないよう硬く口を結んでアキの攻撃に耐えている。そんな彼をクロウとジャックが顔を青くして、それでも彼女に口を出せないまま見守っていた。
 ――あとで彼らにも謝ろう。そう心に誓いながら顔を戻すと、目つきの悪い男がの足を踏んだ。

「早くしろ、虫けらが」
「どこ行くんですかプラシド先輩」

 後ろを着いてまわるの言葉には耳も傾けず、プラシドは黙って歩を進めた。


 生徒でにぎわう廊下を突き抜け、誰もいない静かな空き教室に入る。普段使われていないせいか乱雑に放置されていた椅子を一つ引き寄せ、プラシドは腰を下ろした。
 その様子を呆けた様子で眺めるに痺れを切らせた彼が近くにあった椅子を蹴り飛ばす。は自分の近くに飛んできた椅子に大人しく座った。

 南の空に昇った太陽の光が窓から容赦なく差し込む。キラキラと光に照らされて宙を漂う多くの塵がはっきりと見えた。その流れはとても緩やかで、まどろむ午後であることを主張しているようだった。

 プラシドの武骨な手により音を立てて破かれた袋には、大きくイチゴジャムパンと書かれていた。近くの机に置かれたのは紙パックのイチゴミルク。イチゴ好きすぎだろ、と思うのと同時に糖尿病が心配された。当の本人はそんなことなど気に留めた様子もなく、イチゴミルクのストローを咥えている。

「教室はうるさくて勉強できないからな」

 がじがじ。口から解放されたストローは見るも無残に、歯形にまみれて潰れてしまっていた。
 行儀が悪いと感じつつもは言葉に出さなかった。
 いつの間にかプラシドの手元には小さく手厚い長方形の紙束――単語帳が握られていた。

「そういやプラシド先輩、受験生だった」
「とうとう頭が沸いたか虫けら。その残念な頭斬って中身見てやろうか」
「剣道部元主将、というかプラシド先輩が斬るとか言うと洒落にならんです」

 プラシドが引退するまで、二人は剣道部部員とマネージャーという関係であったため、にはプラシドが冗談半分で言っていないことが分かった。毎日のように部活で顔を合わせているうちに彼の辞書に冗談という文字はないことを知ったからだ。斬られたら堪らないと言わんばかりに身を引けば、椅子ごと引き寄せられてしまう。

 はあ、と吐息しながらは膝の上に弁当を広げる。もくもくと食べ始めると、プラシドの視線が弁当に注がれていることに気がついた。その視線にこそばゆささえ覚えて、はおずおずと「食べますか?」と問うた。プラシドはこくりと頷く。いつになく素直な彼の様子に、自然と滲んだ笑顔で弁当と箸を差し出した。だが、どれだけ待ってもそれを受け取る素振りは見られなかった。

「面倒だ、食わせろ」

 予想外の言葉には息を詰まらせた。しかし引く気のないプラシドに諦めたのか、形の整った玉子焼きを箸で摘んで、彼の口の近くに運んでやる。抵抗もなく口に含んだ彼には思わず破顔した。

「……ところで部活、どうだ」
「変わったことはないですよ。あ、先輩がいなくなって静かになっいたたた」
「この髪切るぞ」
「で、でも私は先輩がいなくなって寂しいかなあ!」

 髪を引かれながらわあっと叫ぶように言うと、ぴたりとプラシドの動きが止まった。
 あ、恥ずかしいこと言ったんだ。ほのかに朱をさしたプラシドの耳が目に入り、の頬は見る見るうちに上気した。

 差し込む日光が二人の体をさらに熱くするようだった。教室の外から聞こえてくるチャイムに、昼休みが終わったことを告げられる。
 は慌ててまだ半分も食べ終えていない弁当を片付けた。

、」

 一瞬誰のことを呼んだのか分からず、はぼけっとした顔で首を傾げた。プラシドはいつもを虫けらだのお前だのと呼んでいて、下の名前で呼ばれたのはこれが初めてだった。
 はいと小さく返事をすれば、プラシドが珍しく口篭った。正直な話、次の授業の準備があるため、はすぐにでもここから立ち去りたかった。

「明日の昼、俺の分の弁当も持ってここに来い」
「……あ、はい。じゃあお母さんに頼んでおきますね!」
「自分で作れ」

 盛大な舌打ちをされつつ頭を平手で叩かれ、は理不尽な気持ちでいっぱいになった。それと同時に、近いうちに朝早く起きて弁当作りに挑戦してみようと決意を固めたのだった。
 もう暫くはアキと遊星たちに謝る日が続くだろう。
 がプラシドにえへ、と微笑みかければ「……気持ち悪ぃ」と背中を蹴られた。

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