ああ、だから大人になんかなりたくなかったのに。
 きらきらと忌まわしく煌く彼との四年間が走馬灯のように脳裏を走る。十代のいない世界は、私にとってモノクロでしかなかった。
 もしこの世の中に神様がいるならば、神様どうかお願いします。私はまだ大人になんかなりたくない。

 正確に時を刻む針がやけに早く進んでいるような錯覚にさえ見舞われる。そして私の期待を裏切るかのように時計の長針と短針は天頂部で逢瀬を交わした。目の前にいる彼が優しげに表情を崩して微笑み、背中を撫でるようにさすってくれた。

「二十歳の誕生日おめでとう、
「……ありがと、十代」

 大したものは用意できないけどな、と十代は頬を赤く染めた。
 去年まではみんなが集まってくれて、賑やかで楽しくて嬉しかった誕生日。別に十代しか祝ってくれないのが嫌だ(むしろ彼さえいれば十分)ということではない。二十歳の壁は私に未知と自由を与える代わりに、失ってはいけない大切なものを奪っていくような気がしてならないのだ。

 アカデミアを卒業してから、私は十代に連れられて世界中を旅するようになった。学園生活すべてに彩りをのせた十代は、アカデミア以外の世界も彩ってくれた。強引に連れ出されたに等しかった旅だが、特に不満もなく楽しく過ごせている。
 乱暴に引っつかんだ芝生は夜露に湿り、指を冷やした。闇夜に浮かぶ星々は青白く輝いていて、どこか不気味さをまとっていた。体を温めてくれていた真っ赤な炎が夜に溶けるように消える。炎がなくなっても、十代の瞳は爛々と燃えていた。

「さ、そろそろ寝ようぜ」
「隣で寝てもいい?」

 驚きのあまりに放心した十代の隣に滑り込み、さっさと寝転がってしまう。芝生のクッションは湿っていて、顔をくすぐると冷たかったが、柔らかくて心地よい。十代はなにか言いたそうに唸っていたが、その顔は闇に隠されて見えなかった。
 やがて諦めたように私の隣にごろんと寝転ぶ。伝わる体温が今の季節にはちょうどよい。彼の胸元にぼすんと顔をうずめて、ずるりと体を寄せた。すると今度こそ少し躊躇ってから、口を開いて怪訝そうに私の名前を呼ぶ。

「十代はピーター・パンだから、大人になった私から離れていきそうで怖い」
「ピーター・パン? 俺が?」

 まさか、と笑って流されたけどあながち間違っていないような気がする。十代はたくさんの人に夢と希望を与え続けて、その存在を植えつけてきた。まさに彼は夢の世界の住人だ。

「知ってるか、ピーター・パンって大人になった子供を殺すらしいぜ」
「私も殺される?」
「バカ言ってないで寝るぞ」

芝生と頭の間に十代の逞しくない腕が割り込んできて、いわゆる腕枕をしてもらった。頬に伝わる人肌に安堵して遅い繰る睡魔に身を委ねた。

 朝目覚めると、彼はどこにもいなかった。十代。十代。何度名前を呼んでも、何時間待ち続けても十代は二度と姿を現さなかった。
 そういえば殺されるか、と尋ねたときに十代は殺すとも殺さないとも口にはしなかった。私のピーター・パンはどうやら、大人になった子供を捨てていく方法を選んだらしい。でも、捨てられるくらいなら殺されたほうが楽だったのに。ひょっとしたら、心を殺されたのかもしれない。

 残された傷が大きすぎて、どうにも癒えそうにない。目を閉じると、まだ瞼の裏では太陽のように元気な十代が笑いかけてくるのだ。ああ、神様。彼がいた季節に戻りたいだなんて。
 彼の腕のぬくもりが残っているようで、まだ温かい頬にいつまでも手を添えていた。
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