※獣人化(十代に獣耳や尻尾が生えています)


 近頃は暑くなって来たというのに、山に登ると涼しい風が肌を掠めた。
 大体どうして私は一人で山に登っているのだろう。恋人に振られて傷心している友人を慰めようとハイキングを計画したのがそもそも間違いだった。最初は乗り気だった友人も、前日になって突然、「彼氏と仲直りできました。今時ハイキングとか冗談だったんでしょ?」という電話をしてきたのだ。私はもちろん冗談だった、と笑うことしか出来なかった。

 困惑する私を後押ししたのは晴れ渡った青空だった。折角お弁当も用意したんだから一人ででも行こうと思ったのが運の尽き。私のなけなしの体力はすぐに底をついた。しかも途中で道を違えたのか、獣道が続き足が持っていかれそうになる。

「ダメだ、休憩しよう」

 ふらふらと縺れる足に鞭打ち、手頃な岩に腰掛ける――つもりではいたがあまりの虫の多さに気を落とした。こんなところで弁当を広げるなんて自殺行為だ。
 ふと顔を上げると、緑が広がる自然の中に、一際目立つ赤い色を見つけた。引き寄せられるかのように近づくと大きな鳥居が待ち受けていた。こんな所に神社? と疑問に思いつつ、不謹慎だけど社の中で昼食をとらせてもらおう。
 老朽した賽銭箱になけなしの小銭を放り、古びた社にお邪魔した。

 社の中は予想より遥かに埃が少なかったが、床板は今にも抜け落ちそうに不安な音を出している。暴れない限りは大丈夫だろう。ふう、と一息つくと顔に柔らかい何かが当たった。

「なぁ、あんた誰だ?」

 頭から落ちてくる幼い声。あっけに取られて言葉を失っていると、声の正体は私の頭から勢いよく飛び降りた。

「わあぁっ!?」

 木が割れる凄まじい音。彼が飛び降りた衝撃に耐え切れなかったのか、床はぼろっと崩れ落ちた。
 そっと開いた穴を覗き込もうとすると赤い閃光が飛び出してくる。ぱっと顔を上げると赤い服の少年と目が合った。彼からはふわふわと金色の毛並みをした耳と尻尾が生えている。さっき顔に当たってきたのは尻尾だったのかと自分でも驚くほど冷静に考えていた。

「えーと、俺はここの稲荷神の使いで十代っていうんだ」
「私は、お邪魔してます」

 十代くんは意外にも丁寧に挨拶してきた。頭に乗った木屑を払い落としながら私の話をふんふんと聞いてくれた。
 稲荷神の使いって確かお狐様だよね。じゃあこの耳と尻尾は狐のものだったのか。私が考え込んでいると、十代くんはすんすんと鼻を鳴らして私の周りをくるくると回り始めた。

からいい匂いがするぜ」

 その言葉と同時に十代くんのお腹から地鳴りが響いた。神様の使いでも腹は減るのかと訝しげに思いつつ鞄の中から弁当箱を取り出す。それに反応するかのように十代くんの尻尾は激しく動き出した。でもお弁当の中にお狐様が好きそうな油揚げなんて入ってないんだよな。

「なあ。これなんだ?」
「これ? これはエビフライっていうんだけど……十代くん、あーん」

 あーんと釣られるように開いた大きな口にエビフライを突っ込む。もう揚げてあるものならなんでも好きなのか。せっせと顎を動かして頬張る十代くんの瞳は徐々に爛々と輝き始めた。

! これすげぇうまいな!」
「そんなに気に入ったなら残りのも全部あげるから」
「えっ、いいのかむぐっ」

 話をしている途中だったが遠慮なく遮りエビフライをくわえ込ませた。あまりにも美味しそうに食べてくれるものなので、食べさせる側としても満足だ。
 だけど弁当の中にそう何個もエビフライが入っているわけじゃない。これで最後だと告げると、十代くんは狐の耳をしょげさせながら食べ尽くした。

 すっかり腹ごしらえを済ませてしまったので、そろそろ下山しようと試みる。日が暮れてしまったら私はきっと家に帰れず遭難して死んでしまう。ハイキングのつもりがこんな山奥に入っていくなんて私は浅はかだった。
 重い腰を上げると、十代くんがジーパンの裾を掴んできた。

もう行っちゃうのかよ、ずっとここにいれば良いのに」
「十代くん?」
「……こんなとこには誰もこねぇし。それに、がいればまたエビフライが食える!」
「は?」

 行ってほしくないとか可愛いことを言う子だなと思ったら、目的は私ではなくエビフライだった。予想がつかなかったわけではないけれど、と一人強がってみる。彼が私に留まってほしい気持ちより私が帰宅したい気持ちの方がずっと強い。十代くんには悪いが、また来るからと言って社の戸を引いた。
 しかし、とは渋い音を立てただけでぴくりとも動かない。驚いて十代くんに目線を落とすと、彼の瞳は金色に燃え、尻尾も二つに増えていた。

「逃がさねぇ」

 ずっとずっと低くなった彼の声に全身の肌が粟立った。忘れてたけど、この子も神様の使いなんだ。私一人ここに閉じ込めるくらい造作もないだろう。かと言ってこちらもそれで折れるわけにはいかない。私が腰を落として十代くんの方に両手を添えると、彼は怪訝な顔をしながらも黙ってくれた。

「十代くん、こんな山奥に閉じ込められたんじゃエビフライは作れないし食べれないの」
「マジかよ!?」

 エビは海産物だ。山にいたってエビが獲れるはずもないのだ。衝撃の事実を突きつけられて、十代くんは数分放心したまま動かない。その間に私は逃げるように社を後にした。


 無事帰宅できたことに安堵すると、改めて散々な一日だったと振り返る。電気をつけ、着替えも何もかもを後回しにし、疲れた体を乱雑に横たえた。

「ここがの部屋か、エビフライもここで作るんだろ!」
「エビフライはキッチンで作る……十代くん、なんでいるの?」
「思ってみれば、あっちじゃなくての所にいればエビフライは食えるんだよなって」

 慌てて飛び起きた私に、十代くんは名案だろ? と言わんばかりに胸を張った。頼む、神様の使いなんだからちゃんと社に留まっていてくれ。

「ガッチャ! これからよろしくな、

 憎いほど爽やかな笑顔に、私は引きつった笑みを返すことしかできなかった。
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