それはいかにも質量を持った雲がどんよりと空を覆い、今にも雨が降り出しそうな日でした。
 いつもは色とりどりの制服でにぎわうデュエルアカデミアですが、今日は黒っぽい服で埋め尽くされていました。

 私はみんなの輝かしい笑顔が眩しくて大好きでした。でも今は誰しもが暗い顔をしており、中にはさめざめと涙を流す者もいました。
 いやに冷たい風が吹き抜けて寒いのか、震えている明日香の肩を万丈目が壊れ物を扱うかのように支えていました。翔の眼鏡は涙と嗚咽とで曇っていて前が見えていないようでした。普段は明るい剣山くんも何もしゃべりません。レイちゃんは泣き崩れてしまってもう立つ力もないように見えました。クロノス先生が鼻をすすりながら、それでもしっかり変に顔を崩した私の写真を持っていました。
 十代の顔は、俯いていて見えませんでした。

 ――今日、私の葬式が行われました。

 急だったので死因はよく覚えていません。多分なにか病気の類だったかと思います。私はみんなから少し離れたところで葬式の様子を見守っていました。粛々と執り行われるそれを見ているのが、それよりもみんなを見ているのが辛くて目をそらしました。

 私にはまだ死んだという実感がわいていなかったのです。幽体離脱をしているのだと言われた方がまだ納得できたような気がします。なぜなら私の意識は確実にまだここにあり、思考も生前と変わりなく正常に働いていたからです。

 振り返ってみると、なかなか何もない人生でした。
 気になることと言えば自分のデッキはどうなるのだろうということだけでした。
 この短い人生で私はなにをやり遂げたわけでもなく、生きた証を残すことも適いませんでした。しかしきっと私のような人間はあと何年死の訪れが遅かったとしても結局は同じ結果に成り果てていたのでしょう。
 だから何もみんなそこまで悲しんでくれなくてもいいのに。と胸が苦しくなりました。最後まで悲しませることしかできない自分がとても矮小な存在に感じました。

「笑った顔が、好きなのに」

 誰に届くでもないその言葉は、葬式に参加した全員の体をすり抜けて消えました。
 少しだけ湿度が上がり、温度も低くなりました。もうすぐ雨が降り出しそうです。
 おもむろに十代が顔を上げました。一瞬、彼の瞳がオッドアイに見えたのですがよく見るとやっぱりいつもの琥珀色をしていました。

「みんな、そんなに泣いてちゃもあっちに行きづらいだろ?」
「こんな時に不謹慎だぞ、貴様」

 十代は不器用に笑ってみせました。それは私が初めて見たときの彼の笑顔とはもう随分かけ離れていたように思います。彼はどんどん大人になっていきます。
 そんな十代を窘めたのは万丈目でした。しかし次の言葉は隣にいた明日香に妨げられました。

「そうね、に笑った顔が好きだってよく言われたもの」
先輩、僕の不細工な泣き顔見て笑っちゃダメだよ……僕も、ちゃんと笑うから」

 そう言ってレイちゃんは鼻を真っ赤にしながらぎこちなく笑いました。笑顔がとても愛らしい彼女が大好きでした。
 ぽつぽつと降り出した雨が地面に黒い染みをつくっていきます。折角みんなが泣き止み始めたところに降る雨はまるで私たちの別れを邪魔しに来たようでした。

ちゃん、どうして死んじゃうのさ……一緒に大人になりたかったよぉ……」

 翔の小さな呟きが空っぽの胸にぐさりと刺さり、抉られるような痛みが走りました。すでに体を持たない私が言うのはおかしな話ですが、本当に心臓のあたりがじくじくと熱を持って痛むのです。
 ああ、もう二度と私が彼らと同じ時間を生きることはできないのです。
 悲しみよりも脱力感、虚無感が感情を強く支配していきました。


 葬式が終わっても、まだ成仏することができずにいました。
 足が地についていない浮遊霊とも悪霊ともとれない私はいつの間にか寂れたレッド寮のとある部屋の前にいました。どうしてここに赴いてしまったのか、自分自身の行動が理解できませんでした。
 いつもしていたようにドアノブを回そうとしましたが、手は空を切って指が扉の向こうへ通り抜けました。そこで私が死んだことは嘘ではないと突きつけられたようで、また得体の知れない苦しみが襲いました。
 部屋の中にいた十代は三段ベッドを背に、片足をたてて静かに座っていました。その瞼は固く閉じられていて、そうでなくてもどうせこちらの姿は見えないのだからと私も隣に腰かけました。

 一分、二分と残酷なまでに時間は進んでいきます。
 世界は私を失ったくらいでは何も変わらず、しかしそれこそが自然であるのです。
 十代の隣はとても心地よくて、いつまでもこうしていたいと思えました。ぽつりぽつりと誰に語るわけでもなく胸の内を明かしました。

「死んだ今になっても、ああ、あれをしておけばよかった。未来であれができなくて悔いが残るとか、ないの。いえ、ないと言ったら嘘になるかもしれないけど、もうどうでもよくなってしまったから、同じ。やりたいことがあるわけでも、やり残したことがあるわけでもないのに。死んですぐにはこんなこと思わなかったのに。どうして……どうして、私はみんなと一緒に生きていくことができなかったんだろう……!」

 最後の方は叫ぶように言葉を吐き出していたかもしれません。ぼろぼろととめどなく溢れてくる涙は先程の雨と違って、染みをつくることなく落ちては消えていきます。

「――なら、俺と一緒に生きてみるか?」

 ぼやける視界の中に十代をとらえると、ぱっちりと目が合いました。少し困っているような先と同じ不器用な笑顔でした。

「私のことっ、見えるの……?」
「ああ。さっき、の声が聞こえたような気がしたんだ。顔を上げたら透けてるがちゃんと見えた」

 まあ、大徳寺先生も見えるくらいだから元々見える体質なのかもしれないけど。そう言って十代はまた控えめに微笑みました。なんだかとても優しい空気がこの部屋一体を包みました。

「俺ももう、きっとみんなと同じ時間は生きられないし。俺たち仲間だな」
「い、いいのかな。私もう死んでる、のに」
「そんな小さいこと気にするなよ。大徳寺先生なんて成仏する気ないぜ」

 どこか不満げな懐かしい声が聞こえてきました。私はこのまま十代の甘い囁きにのってしまってもよいのでしょうか。彼は私を仲間と言ってくれたけれど、生者と死者の壁はとても打ち破ることのできない分厚い壁です。
 そこまで分かっているのに希望に縋ってしまう私はなんと愚かでしょう。失われた命がいまさら何かしたところで、やはりやり遂げることも生きた証を残すこともできません。しかし生きていたとき以上に高揚している心がここにあるのは間違いないのでした。
 私は死んでやっと、自分の命が生まれてきて良かったと思えるための何かを探そうと思うようになりました。

 雨はまだ止みません。でもその音が負の感情を洗い流してくれるかのように澄んでいたので、たまには雨もいいものだと感じました。

「十代は私が死んだとき、なにを思った?」
「……さあ。今はこうしてが隣にいるし、昔のことは一々覚えてないな」

 きっと十代は嘘をつきました。私はそれを咎めることもせずただただ彼の傍に居座り続けるのでした。
Page Top
inserted by FC2 system