が初めてカードの精霊が見えると自覚したのは、カードショップである出会いを果たした日だった。
 目当てのものがあるわけでもなく無数に並ぶ幾つものカードを漠然と見歩いていた。これらすべてにデュエリストを手強く強化していく可能性が秘められている。そう考えるだけでの胸は痛いほどに締めつけられる。
 そして、あるカードを目に留めた瞬間、言い知れぬ威圧感に身を震わせた。ありえないと心では思いつつも確かにカードイラストと目が合った、そう感じたのだ。硝子のように透き通るオッドアイが俄かに揺らめきを捕らえて離さない。逃げようとした足は鎖で固定されたかのように固く動かなかった。

「キミ、ボクが見えるのかい」

 脳を蕩かすような甘ったるい声だった。粘るようなしつこさの残る口調に耳が侵食されるという錯覚にさえ陥る。ふわふわと地に足がついているかどうか分からなくなるまでには動揺していた。

「見えるよ、精霊なんてクレイジーな奴の妄想の産物とばかり思っていたのに」

 震える膝とは裏腹に、声だけは凛と張っていることには自分自身驚いた。目の前の悪魔に対して口は余計なまでに言を紡いでいた。気分を害したとしても疑問ではないの物言いに気にした様子もなく、悪魔は笑う。

「遊城十代を知っているか?」
「十代くん……? 近所の子がそんな名前だったかな」

 学校帰り、隣を駆け去っていく子供らの会話の中でその奇抜さゆえに偶々記憶していた名だった。そういえば彼らはよくデッキを持ち歩いていたとは記憶を探る。しかし中学生のが小学生の少年と接点があるわけもない。それよりも今は、先程と打って変わって低い男声を出した悪魔が怖くて仕方なかった。

「ボクを十代に会わせておくれ。キミにしか頼めないんだよ」

 縋るように光を目に宿す悪魔に恋する乙女の姿を重ねた。ああ、悪魔は『十代』にただただ恋焦がれているだけの純粋な心を持っている。そう考えるとの心は自然と軽くなり、先程までの恐怖が嘘のように吹き飛んだ。
 そして若干思慮浅く、はその頼みに首を縦に振った。
 ユベルと名乗った悪魔はの手に渡った。


 それからは遊城十代に関する情報を集め出す。十代の誕生日が近いと知り、誕生日プレゼントに最適と銘打ち彼の父親にユベルを売りつけることに成功した。
 役目が終わると、開放感と虚無感が一度に襲い、一週間は学校にも行かず死んだように眠った。何がなんだか自分でも理解していなかった。
 しかしはユベルが自分の元から去ったことにはっきりと寂しさを感じていた。思い当たる感情を当てはめていくと、一つの結論に辿り着きそうになる。
 恋だった。恋に恋焦がれるユベルと共に過ごして、恋に落ちてしまったのだ。ミイラ取りがミイラになるとはこういうことを言うのだろうか。用法は分からないが、もし言うのだとしたら自分はとても滑稽だとは浅く自嘲した。

「どうしたの、悩み事か」

 十代の元へ行った後も、ユベルはちょくちょくの前に顔を出した。もちろん夜遅く、十代が心地よい眠りについている時間帯に。何事においてもユベルの中では十代が最優先された。
 ユベルは幸せそうに十代へ愛を語り、時折悲しそうに十代へ気持ちが届かぬことを嘆いた。これがを惑わせる一つの要因でもあった。悩みの種はお前だなどと告げる気にもなれず、肩を竦めるだけに留めた。

「私きっと、ユベルが好きなんだ」

 投げやりに呟かれた愛の告白に、ユベルは元々大きな目を少し見開いた。妖しく口元を歪め、からかうようにを上から下まで眺める。
 ああ、バカなことを吐いた。後悔先に立たず、は最大限にまで大きくした溜息をつく。

「僕もが好きだよ。愛してはいないけどね」

 彼女らしい返答で徐に笑みが零れるも、それはすぐに薄れた。


 よく晴れた日の夕暮れだった。
突然頭を鈍器で殴られるような頭痛がに降りかかった。そしてやけに鮮明に、脳に響くように愛しいユベルの声が聞こえてくる。最近は連絡が途絶えていたからか、の気持ちはすぐに高揚した。

、熱いよ、苦しいよ。もう十代は返事もくれないんだ」

 消えるような掠れた声に先程の高揚などすっかり失せ、は手先が冷たくなっていくのを感じた。
 事の成り行きを聞くと、涙腺は熱を持って頬に一筋の線を描いた。テレビでしか見たことのない宇宙を思い浮かべて、は赤く染まった空を見上げる。ユベルの愛は十代に届かなかったのか。
 もうユベルに会うことはできない。あの愛しい人を思う瞳も、悪態しかつかない唇も手が届かぬくらい遠くへ行ってしまった。は声も上げず静かに泣き続けた。

「もうボクの話し相手はだけだね」

 最も、十代と会話できたことないけど。
 は現状がスプーン一杯分の砂糖程度には気に入っていた。今ユベルを独占しているのは十代ではなく、自分なのだという優越感に浸れるからだ。これはどろどろとした自らの醜い感情だと気づいてはいたが、目を伏せた。そうでもしなければ日に日に燃える内の感情が溢れ出そうなのだ。

 しかし、この生活にも終止符を打たなければいけないともは考えていた。毎日ユベルの相手をしているのは自分なのに、当人は飽きもせず十代しか見えていない。今自分にされている仕打ちさえ愛の形だと信じて疑わない。きっと二人は見えない長く太い絆で結ばれているのだとしか思えなかった。私が入り込める隙などない。こんなに深く干渉しても迷惑なだけだ。
 はユベルと決別することを決めた。

 満月だというのに、今宵の月は厚い灰色の雲に身を潜めていた。いつものように眠るまでの時間をユベルに費やしたは、覚悟を決めるように唾を飲み下した。これがユベルと過ごす最後の時間。

「もう寝るわ、お休みユベル。……愛してる、さよなら」
「お休み、よい夢を。ボクもキミが大好きさ」

 この時が二人の別離になると知らないのだから、はユベルの最後となる言葉に何も言わなかった。ただ、一貫してユベルはに愛していると囁くことはないのだとぼんやり思った。それでも大好きという言葉だけでには十分だった。この声がいつまでも耳に残響し続ければ良い、そう感じながら深い眠りについた。

 翌日、ユベルがおはようと声をかけてきてもは答えることをしなかった。最初は気に留めていなかったユベルも、夜には異変を察し狂ったように叫んだ。

もボクを捨てるの、もうボクは一人になるのに、これがキミの愛だとでも言うの?!」

 三日三晩、昼夜を問わず脳を刺激する嘆きには耳を塞ぐ。耳から聞こえる声ではないので気休め程度の行為ではあったが、幾分か気は楽になった。そしてユベルの声が本格的に届かなくなった頃、は一目も気にせずユベルを思い出す度に涙を流した。誤った一方的な別離だったかもしれないが、ユベルへの愛は変わることのない本物の想いだった。

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