銀色の光が夜の空をきらびやかに彩る。
 は真っ暗になった女子寮の廊下を、月の明かりだけを頼りに歩いていた。人目を忍んで寮を抜け出る瞬間は妙に気分が高揚する。規則を破ることへの罪悪感と背徳感が、ぞくぞくと背筋を刺激した。
 薄暗い道を一人で黙々と進む。この時間は視界が悪くなる分、嗅覚と聴覚が敏感になるように感じられた。静寂の中で風に運ばれてくる木の匂いだとか、足元でざわめく草花の音だとかが、はこよなく好きだった。わずかに冷えた空気が肌をかすめるのさえ心地よかった。昼間は真っ青に波打つ海も、今では底なしの暗黒に覆い包まれていた。もう目的地はすぐそこであった。

 一部屋にも明かりが灯っていない寂れたレッド寮の階段下――ユベルはそこにひっそりと佇んでいた。異形のその姿はを見つけるや否や、目を鋭くつり上げた。

「ふん、ボクを待たせるなんて随分といい度胸じゃないか」
「待っててくれたの? 嬉しい」

 わざとらしく、都合のよいように解釈してやると、ユベルはつまらなそうにそっぽを向いた。否定しないところを見るとどうやらその通りらしい。湧き上がる喜びをそっと押し殺しながら、は彼女の隣に腰を下ろした。
 いつからこうして二人きりで会うようになったのか、実のところ当人たちも記憶していなかった。十代すら寝ついてしまったであろう夜更け。それが二人の逢瀬の時間となったのは、どちらから提案したものでもない。ただ、暗黙の裡に、そうすることが好ましいだろうと通じ合ったのだ。
 しかし、会ったところで何をするという訳でもない。その日によって過ごし方は様々だった。たとえばぼうっと夜の景色を眺めたり、他愛のない話をしてみたりといった具合だ。ユベルの胸の内は定かではなかったが、にとっては至福の時間であった。

 南の海に浮かぶデュエルアカデミア本校では、日が暮れても寒いと感じることは殆どない。多少吹き抜ける風が冷たかったとしても、それは爽やかさを帯びていた。その風が偶然にも鼻腔をくすぐり、は思わずくしゃみをした。ずず、と鼻をすすると、ユベルは怪訝そうにこちらを窺ってきた。

「冷えたのかい?」

 あ、手が。座り込んでいるの顔を覗き込もうと、ユベルも地に手をつく姿勢をとる。その手がちょうどのものと重なり、すり抜けた。
 はただ精霊が見えるだけであった。自分のデッキに精霊が宿っているわけでも、彼らを実体化できる特別な能力を持っているわけでもない。そこに確かに存在する彼らを見つけてやることしかできなかった。それがひどくもどかしかった。

「ん、大丈夫。全然寒くないよ」
「まったく、そんな格好で出てくるからだよ」

 すっと引いていく彼女の手をぼんやりと目で追う。確かに今着ているブルー女子の制服は、夜だと寒そうに見えるかもしれない。だからと言って、ユベルの前で寝間着やジャージで現れるのは何となく躊躇われた。

「私からすればユベルの方がよっぽど寒そうだよ、ばか」
よりは馬鹿じゃな……い、よ……」

 ちょっとした演技のつもりだった。触れないと分かっていながら、ユベルの頬をつまむ素振りをしてみせようとした。それが互いの温もりを知ることのない二人の軽いスキンシップであったからだ。
 だが、の指にはしっかりと彼女の頬の感触があった。初めての感触、初めての熱がじわじわと指先から全身へ広がっていく。なぜ、どうしてと尋ねようとした口は、閉ざされたままだった。自分と同じくらい驚いている目の前の悪魔からは、何も聞き出せないだろうと悟ったからだ。
 考えてみればすぐに分かることだった。
こんな所業をなせる人物など、一人しかいないのだから。

「いたいよ」
「あっ、ごめん」

 ユベルにそう言われ、慌てて手を放す。言葉とは裏腹に、彼女の表情は綻んでいるように思えた。もしかして自分と同じように触れ合えたことを喜んでいたのだろうか。

「十代には今度お礼しなきゃね」
「しなくていいよそんなの。アイツ、余計なことしやがって……」
「ね、それはどっちに嫉妬してるの?」
「変なこと言わないでおくれ、どうしてボクが十代やに嫉妬しなきゃいけないんだ」

 愛する男性に女が近づくのはもちろん嫌だ。唯一の友人に男が近づくのも面白くない。十代ももユベルにとって大切な存在で、自分のいないところで仲良くされるのは許せなかった。
 そんな独占欲を見透かされ、ユベルはすっかり機嫌を損ねていた。

 ユベルの背を見ながら、は先程の感触が忘れられずにいた。こんな機会はめったに訪れないのだから、またあの肌に触れたい。衝動に突き動かされるがまま、はユベルの腕に抱きついた。

「な、いきなりなんだい」
「ちょっと寒くなっちゃったから、あたためてよ」
「さっきまで寒くないって言ってたくせに」
「聞こえません」

 ぎゅう、と抱きしめる力を強めれば、ユベルから同じだけの圧力が返ってきた。「実体化したらボクも寒くなっただけだよ」と言い訳しているのがおかしくて、は声を抑えず笑った。

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