※大正パロディ


1
 大学への通い路に、立派な椿の木が育っている邸があった。
 また今年も、鮮やかな椿の花が庭一面を彩るのが見られるだろうと、万丈目は密かに心待ちにしていた。石造りの塀にもたれるように茂る蕾が大層愛らしかった。
 とはいえ、その邸自体は庭の広さに見劣りするほど貧相であった。今にも外れそうな引き戸に、ひびの入った窓硝子が外からでも窺えた。裕福な家庭に育った万丈目からしてみれば、人が住むような場所とは思えなかった。

 そんなことを考えていると、がらがらと渋い音を立てて、玄関から人が出てきた。自分と同じくらいの齢のしとやかな女性だった。
 万丈目はアッと息をのんで、塀の陰に身を隠した。やましいことをしているわけでもないのに、ひどく焦燥に駆られた。
 彼女はこの邸の一人娘で、毎日欠かすことなく椿の手入れをする姿を何度も見かけることができた。ぽってりとした薄紅色の唇はまるで椿の花のようであるし、彼女からはいつもその薫りがした。邸はおんぼろであったが、貧乏臭さなど微塵も匂わせぬ風貌であった。彼女と椿の庭だけが邸から切り離されているように感じた。
 いつからか万丈目は彼女のことを「椿嬢」と心の中で呼ぶようになっていた。椿嬢をちらりと盗み見てから、大学へ向かう毎日が続いた。


 残暑の秋口の話であった。カラカラと空気が乾いていて、朝から嫌になるほど暑い日だった。大学を目指す万丈目の足は鉛のように重かった。

 万丈目は名家の第三子である。二人の兄はとうに社会で活躍しており、その才能は抜きんでていた。その秀でた兄等から大学での学業不振を責め立てられ、一日の初めから気分が落ち込んでいた。元々望んでいなかった進学であったため、尚更である。この気分のままではいけないことは十分に理解していた。
 もうすぐ、あの椿の屋敷が見えてくる頃だ。今日は椿嬢が見れるだろうかというほのかな期待を胸に、その前を通りかかった。

 ぱしゃ、と軽い音が耳に届いた。音の出所を探して目線を下げると、濡れた黒いズボンが足に張りついていた。驚いて顔を上げれば、ビー玉のようにくりくりとした双眸が、自分の間抜けな相貌を映していた。それが万丈目と椿嬢の初めてのコンタクトであった。


「本当にごめんなさい……今日は暑かったから、打ち水をしようと思って」
「いえ、ぼうっとしてた僕も悪いので」

 そのまま出歩かせるのも申し訳ないし、休んでいってください。なに、暑いからすぐ乾くでしょう。
 そう強く誘われて、万丈目は縁側に腰を下ろした。庭の椿が一望できる特等席であった。きっと一日中見ていても飽きないのだろうな、とぼんやり眺めた。
 本当はもう講義が始まる時間だったのだが、今日くらいは少しサボってやろうと思い立った。否、単に椿嬢との出会いの芽を摘み取りたくなかっただけかもしれない。椿嬢の声を聞くのはこの時が初めてであった。
 万丈目はこの瞬間、大学での試験の時間より緊張していたかもしれない。それほどまでに、床が抜けそうなボロ邸の住人とは思えぬ気品さが椿嬢にはあったのだ。出された麦茶を啜る。緊張と気温で火照った体が喉から冷えていくようだった。

「失礼ですが、どちらへ行くところでしたの」
「ここからそう遠くない大学です」
「学生さんでしたの。ご立派ですのね。もしかして、私のせいで授業に遅れてしまった……?」
「そんな、椿嬢が気に病むことじゃな……い、」

 気づいたときには既に言葉が口をついて出ていた。椿嬢はきょとんと小首を傾げた。万丈目が後悔の波に打ちひしがれていると、彼女もようやく合点がいったようだった。

「椿嬢というのは私のことでしょうか」
「すみません。あまりにも立派な椿を管理なさっているお嬢さんでしたもので」

 そう正直に告げると、椿嬢は表情を曇らせた。麦茶の入ったコップについた水滴が、指先を濡らした。

「実は私、あまり椿が好きではないのです。私のことはとお呼びくださいな」
さんですか」

 さん、さん。
 万丈目は心の中で何度もその名を復唱した。ようやく知ることができた彼女の本当の名前を己に刻みつけた。それでも慣れ親しんできた椿嬢という名はを表すのにぴったりだと確信していた。
 そんなから椿が嫌いだと聞き、万丈目は少なからず驚いた。いつも見かける塀の向こうの彼女は、とても優しい顔をしているのだ。果たして本当に嫌いならばあんな顔ができるのだろうか。怠ることなく毎日の世話ができるのだろうか。

「なぜ、お嫌いなのですか」

 二人の視線が交わる。憂いを帯びたの瞳に、万丈目は心臓を高鳴らせた。

「だって、不吉じゃあないですか」
「不吉? 椿は魔除けにもなる、生命力の強い樹だと本で見たことがありますよ」
「ええそうです。でも、椿の花がどのように散るかご存知ですか」

 去年見たこの庭の椿は、どのように散っていただろうか。そう、確かあれは――

「ボトリと花首から落ちるんですよ。それで幕末の武士には首切り花なんて嫌われまして。私も何となくその印象の方が強いもんですから、どうしても不吉だと感じてしまうんです」

 一年前も、腐る前に花首からもげた椿の花が、雪の絨毯を鮮烈に飾っていた。なぜ今まで忘れていたのだろうか。美しいながらにも哀愁の漂う、花の最期を。

 残りの麦茶を飲み干すと、万丈目はゆっくりと立ち上がった。十分も経つと日差しにさらされたズボンはすっかりと乾いていた。万丈目はぺこりと一礼した。

「また、僕とお話してはくれませんか」
「私でよいのならいつでも。そういえば、まだあなたのお名前を聞いていませんわ」
「失礼しました、僕は万丈目準です」
「そう。では準さん、お勉強、がんばってね」

 応えるように、万丈目は小さく手を挙げた。午後からの講義は普段より集中して臨むことができたのは、椿嬢のおかげだったのだろうか。その答えは万丈目自身もまだ持ち合わせていなかった。


2
 冷たい風が身を震わせる季節に変わった。
 大学の図書館の中には小さなストーブが点々と置いてあり、室温は適度に調整されていた。山のように積み重ねた資料を前に、万丈目は黙々と課題に取り掛かっていた。
 遊んでばかりいる大学生など掃いて捨てるほどいた。
酒に溺れる者、女に入れ込む者、賭博に費やす者、趣味に没頭する者と様々である。万丈目はそれらに一切手を出さなかった。自由な時間など、彼にとってはほんの一時あれば十分であった。

 突然レポート用紙に影ができたことで、ペンを走らせる手を止めた。顔を上げると学友の笑顔が見えた。いつもトップを攫っていく三沢大地だった。

「隣、いいかな」
「フン、勝手にしろ」

 つっけんどんな態度で突き放しても、三沢はまるで気にしていないようだった。それどころか、そう来なくてはと言わんばかりに隣の席を陣取った。結局、嫌だと断っても彼は万丈目の隣に無理やり座ったのだろう。誠実そうな見た目よりずっと強かな男であった。
 以前までの万丈目ならば、敵対心こそあれ、この男に情の一つも持ち合わせていなかった。彼がトップに立つおかげで、兄等は癇癪を起すのだ。しかし、悪いのは三沢ではなく、そこに立てぬ自分であると気づかされてから心境は少しずつ変化している。なんとしても学業で彼を打ち負かすことが目下の目標だった。
 三沢はお人好しな性格である。孤立している万丈目を放ってはおかず、何かにつけて目をかけてくれていた。万丈目にとっては有難迷惑な話だったが、三沢の懸命な努力により、二人の仲は取り持たれている。

「なあ、最近椿嬢の話を聞かないが、どうしたんだ」
「貴様、課題をやるのではなく俺様の邪魔をしに来たのか。それにあれは俺が話したくて話していたわけじゃなく、お前に喋らされていたんだ!」

 音を立てて身を乗り出すと、大きな声も相まって多くの視線を集めた。司書のわざとらしい咳ばらいが聞こえてくる。万丈目は釈然としないまま席に座り直した。

「で、詰まる所どうなんだ」
「……週に何度か話をするようになった。それだけだ」
「そりゃ随分と仲良くなったじゃないか」

 含み笑いをする三沢にそれ以上の情報をくれてやる気にはなれなかった。
 そもそも万丈目が彼を超えるべき目標として好意的に解釈できたのは、のお蔭であった。あの日以来、二人は椿を眺めながら会話を弾ませるようになっていた。話題は主に万丈目の物であったが、は親身になって話を聞いてくれた。
 彼女の前では不思議とありのままの自分をさらけ出すことができた。醜い部分も含めて、自分がすべて包まれるような錯覚に襲われた。万丈目はずっと兄のプレッシャーに押し潰されそうなこと、それでも彼らの期待に応えたかったことを一人で抱えていた。それを吐露した時、は目尻を下げて言った。

「準さんは兄思いですね。でも、燻って立ち止まっていてはいけないわ」

 の言葉はすんなりと心に馴染んでいくようだった。優しかったが、なんとも面妖な女性だとも感じた。彼女は自分のことをあまり話したがらない、掴みどころのない一面があった。それでも、万丈目の中で彼女の存在は確実に大きくなっていった。

 帰路につくころには、雪がちらちらと降り始めていた。
 もうあの縁側で会話を楽しむには、寒すぎる時季になってしまった。万丈目の白い鼻は寒さで赤く色づく。冬が近づいていた。椿が花開く、待ちわびた季節が。


 相変わらず塀から首を伸ばしている蕾たちは、もうすぐ開き始める風を感じさせた。
 敷地内に入れば、庭で焚火をしているの姿があった。パチ、パチ、と小枝が弾ける。は万丈目を見つけると、嬉しそうに微笑んだ。

「もうそろそろですね。花が開くのは」
「ええ、今年もきっと桃色の花が咲きますよ」

 どこか残念そうな声だった。その意図を万丈目は知らない。彼女のことをもっと知りたいという欲に囚われたが、踏み入ることは恐ろしく思えた。

「そういえば、椿は長寿だと聞きました。この樹はいつからあるんですか」
「私の祖母の代に植えられたそうです」

 彼女の張りつめていた空気が、ふっと弛んだ。なにを考えているのか分からないその表情は麗しく見えただろう。は遠い記憶に思いを馳せた。


 幼い頃からは祖母の背中を見て育ってきた。祖母はしわがれた手で毎日甲斐甲斐しく椿の手入れをしていた。彼女は死の直前まで、世話を休むことはなかった。少なからず幼いも、愛らしい桃色の花が咲くのを毎年心待ちにしたものだった。
 祖母が床に伏せたのは、ちょうど冬の真っただ中だった。しんしんと降り積もる雪が庭一面を白く覆う。

「椿をよろしくね」

 その言葉を最後に、祖母は息を引き取った。
 ぼろぼろと零れる涙が寒さで氷の粒になっていくようだった。ふらつく足で縁側に顔を出した。そこで目に飛び込んできたのは、いつも見ていた庭とはまるで違うものだった。

 血のように鮮やかな紅の椿がいっぱいに広がった――


「後にも先にも、この庭の椿が赤くなったのはその年だけです。私が椿の世話を続けるのは、もう一度見たいからでしょうね。目を奪う、あの紅を」

 万丈目はたまらずを抱き寄せた。
 椿嬢という自分でつけた呼び名が、かつて彼女も言っていたように、不吉なものに感じた。目の前にいる彼女が今にも消えてしまいそうで怖かった。
 そっと万丈目の背にの腕が伸びて、二人は固く抱き合った。力の込められた指先が、彼女がちゃんとここにいる証明になった。

「準さんにも見せてあげたいわ、あの美しい椿を」
「……俺は、さんが咲かせるなら、どんな色でもきっと美しいと思います」
「でも、本当に、あの紅はこの世の何よりも美しいの……」

 もしかしたらこの時点では椿に憑りつかれていたのかもしれない。あるいは、彼女の祖母の時代からずっと。


3
 試験期間が近づき、勉強に集中するため、椿の邸もすっかり足が遠くなってしまった。
 椿の邸はわざと避けるように、通学路も少し遠回りになるように変えた。無性にの顔が見たくなっても、万丈目は己に喝を入れて押し止めた。兄等に認めてほしければ今できることのすべてをやるべきだと背中を押してくれたのはだった。ここで挫けては彼女を裏切ることにもつながる。それだけは避けようと、根を詰めて勉強する日々が続いた。

 冬は日が落ちるのが早い。まだ六時を回ったばかりだというのに、空はすっかりと黒ずんでいた。規則的に配置された電灯が、雪道を心許なく照らす。チカチカと点滅する光が寂寥感を増幅させていった。

 さく、さく、と歩みを進めるたびに足が雪の中へ沈んでゆく。これはきっと、まだ積もるだろう。
 コートに舞い降りた一片の雪に目をやる。確か三沢が、見ようと思えば雪の結晶は肉眼で見られるのだと語っていた。袖に乗った綿雪に目を凝らす。どれ一つとして同じ形のない結晶が寄り添い合って、一つの雪片をなしていた。

 自分と同じ夢をもつ学友が、高校を卒業してすぐ、目指す道に飛び込んでいった。自分だけが置いていかれるような焦慮に駆られることがしばしばあった。そのため大学進学は望むところではなかったと打ち明けた時に、から言われたことを思い出した。なにも夢への道は一つではない、焦ることなどないのだと。
 あの人はどれだけ俺の支えになっているか、分かっているのだろうか。そう考えていると、どこか懐かしい声が背後から聞こえてきた。

「万丈目じゃないか、久しぶりだな」

 一つ年下の後輩ながら、すでに万丈目の望む道にいるエド・フェニックスであった。

「なんだ、お前か」
「随分な挨拶だな。折角会えたんだ、何か食べに行かないか」
「お前の奢りなら行ってやらなくもないぞ」
「いつから年下にたかるようになったんだ……出世払いしてくれよ」


 この寒い日に屋台のおでん屋に連れてくるなんてどうかしてる。奢られておきながら一丁前に悪態をつく万丈目に、エドはため息を一つこぼした。
 赤い提灯が風に揺れる。皿に盛られた熱いおでんから白い湯気が上がった。
 たまの休息も必要なのかもしれない、と大根を頬張りながら万丈目は自分に言い聞かせた。本音を言えば、あの邸を訪れることが一番の休息になる。しかし一度行ってしまえば尾を引くことは目に見えていた。
 水を煽る万丈目を横目に、エドも玉子をつついた。

「万丈目、なんか変わったな」
「俺様はなにも変わらん」
「いいや変わったさ。少なくとも、昔より柔らかくなったよ」

 すべてを見透かすようなコバルトブルーの瞳が笑う。万丈目はそれから逃れるように視線を外した。

「一体、誰がお前をそうしたんだろうな」
「貴様には関係ない」

 なにがおかしいのか、エドはくつくつと喉の奥で笑っていた。暗に己の変化を肯定しているということに、万丈目は未だ気づかずにいた。

 万丈目が餅巾着を一気に詰め込むと、中からじんわりと汁が溢れてきて、舌を焼いた。痛みをひた隠して食べ続ける。最初から腹が空いていなかったのもあり、胃袋はすぐに満たされ、程なくして箸を休めた。

 屋台に括りつけられたラジオからニュースが流れていた。若い女のアナウンサーが、無機質な箱の向こうで坦々と原稿を読み上げている。話題は巷を脅かしている連続殺人の話であった。
 ここ数週間ほど、試験勉強に明け暮れていた万丈目にとってこの事件は初耳であった。なんでもここからそう遠くない隣町で、女性を中心に無差別に殺されているらしい。物騒な世の中になったものだと万丈目は眉根を寄せた。こういう胸糞の悪い話は、食事中に聞くものではない。そう思う万丈目の隣で、エドは気にも留めぬ様子でひたすら玉子を貪っていた。

「そういや一昨日、この辺でも一人、被害者が出たらしいね」

 新たにおでんの種――主に玉子――をつゆに浸しながら、店主が呟いた。

「犯人、この町にいるかもしれねぇな。兄ちゃんたちも気をつけろよ」
「さすがに僕たちみたいな若い男は狙わないでしょう。なあ、万丈目」

 エドが視線を戻すと、そこには顔を真っ青にして固まる万丈目がいた。尋常ではないその様子にエドは困惑した。
 今、万丈目の脳内を支配しているのはのことだけであった。思い過ごしだ、そんな偶然はめったにない。そう思えば思うほど、彼女の安否が心配された。ただでさえもう何日も会っていないのだ、彼女がどう過ごしているかなど想像もつかない。

「悪い、エド。後で連絡する!」
「万丈目! どうしたんだ!」

 居ても立っても居られず、万丈目はコートを羽織って駆けだした。背にかけられたエドの声に振り返ることはなかった。
 気温が低いというのに、汗は噴き出るばかりであった。



4
 熱い吐息が空気を白くする。
 懸命に走るも、雪に足をとられて思うように前に進むことができない。凍った根雪に滑り、万丈目は前のめりに転倒した。喉が焼けるように熱い。打ちつけた膝が痛む。肺が苦しい。それでも足を止めるわけにはいかなかった。無我夢中で走っている間は余計なことを考えずに済んだ。
 ただの顔を見られればそれでいいのだ。
 なんだ、そんなことで駆けつけてきたのですか、と馬鹿にしてくれれば安堵できるのだ。妙な胸騒ぎを早く払拭したい。乾いた空気に当てられ、万丈目の目尻にはうっすらと涙がにじんでいた。


さん、いますか? 万丈目です、さん!」

 敷地に入るや否や、万丈目は声を張り上げた。邸の明かりは点いていることに、少しだけ安心感が高まる。しかしどれだけ呼んでも一向にが出てくる様子はなかった。
 玄関の戸に手をかけると、鍵はかけられていなかった。渋い戸をこじ開け、申し訳なさを感じながらも邸の中に踏み入った。物音一つしないことに嫌な予感しかしなかった。
 狭い邸を一部屋一部屋、忙しなく開けて回るが、どこにもはいなかった。残すところは、二人で長い時間を過ごしたあの縁側だけだった。

 慌てて縁側に立つと、の姿はすぐに見つかった。雪の布団の上に寝ているかのように、静かに横たわっていた。万丈目は自分からさあっと血の気が引いていくのを感じた。
 もつれる足のせいで、縁側から転げ落ちるように、這うような形でに近寄った。

さん! さん!」

 背中を向けたまま動かないの肩をぐっと引き寄せる。
 ごろん、との体は天を仰いだ。

 ――が、そこに首はついてこなかった。

 万丈目は絶叫した。喉が涸れて声が出なくなっても、口からは空気が漏れていた。恐る恐るの首に手を伸ばす。ずっしりとした重みが、人間のそれであることを如実に語っていた。
 はまるで眠っているかのように穏やかな表情で死んでいた。

 の体には首以外にも、所々に刺し傷が見られた。残虐な犯行である。彼女は嬲られるように殺され、あまつさえ首を刎ねられたのだ。抑えようのない怒りに、万丈目は奥歯をぎりっと噛みしめた。

 万丈目は視界の端になにか動くものを捕らえ、反射的に顔を上げた。
 その時ようやく、ようやく気づいたのだ。
 真っ赤に色をつけた椿の花。そして、まるで血しぶきのように雪の上に散らばるその景色に。

 また一つ、椿の花が風に乗っての死体の傍に舞い落ちた。が咲かせた血の花よりも鮮烈な紅。まるで彼女の生を吸い取ったかのような、妖艶な色をしていた。
 椿嬢は自らの死をもって、万丈目にずっと見せたかった紅の椿の美しさを伝えることとなった。

 ああ、やはり彼女の咲かせた花は美しい。
 自分に積もる雪など構わず、万丈目は呆然と、燃えるように咲き誇る椿の花をいつまでも見つめていた。
 同じように落とされた、椿嬢の首を膝に乗せたまま。

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