1
 ひゅうっと肌をすべる風に身を震わせる。寒い、なんて寒いんだ。たまらずはあっと口で息をすれば、空気が白くにごってすぐに霧散した。


さん、留学してみないかい?」

 その話は本当にとつぜん舞い込んできた。アカデミア中等部から進学したばかりの私に、鮫島校長は留学の話を持ちかけた。なんでも留学先はデュエルアカデミアの姉妹校らしい。
 最初はどうして私に白羽の矢が立てられたのか、見当もつかなかった。いままさに一年生になろうとしている私より、上級生の方がいいじゃないか。同じ一年生でも、万丈目や天上院さんの方が優秀じゃないか。それがどうして私なんかに。
 それでもこれは一生に一度くるかこないかのチャンスであると確信した。アカデミアで同じ授業を同じように学んだところで、先に述べた彼らを超えることはできないのだ。彼らに追いつきたいのではない。一人の決闘者として、私は、彼らより強くなりたいのだ。

「覚悟を決めた目だね。それでは半年後、また会おう」


 そして私が向かわされたのは、デュエル・アカデミア・アークティック校であった。アークティック校はノース校よりもさらに北に位置している。その名の通り、北極との距離が近い。それゆえに身も凍るほど寒いのだ。とてもアカデミア本校の女子制服でやりすごせる気温ではない。南の海に浮かぶアカデミア本校が、早くも懐かしく思えた。

 とにかく校舎、建物の中に入らないと死んでしまう。がくがくと笑いはじめた膝をなんとか動かしながら、遠くに見える校舎を目指す。港から校舎までは結構な距離があるように感じた。 寒い寒いと思っていたら、なんと雪まで降ってきた。ここまできてなにも成長できないまま死ぬのはごめんだ。ホワイトアウトにブラックアウト。意識を手放しそうになった時、視界にまばゆい青が飛び込んできた。青空なんて、見えないはずなのに。

「おいおい、しっかりしろよぉ! ここは学校であって、墓場じゃないんだぞ!」

 そんなこと知ってるわ、馬鹿。でもどこの誰かも分からぬ彼のおかげで目がさめた。どうやら先ほどの青色は、彼が私にかけてくれた上着らしい。どこかオベリスク・ブルーの制服を連想させるそれに、どうしても口を開かずにはいられなかった。

「袖なしじゃあったまらねぇよ……!」
「えぇ? なんか言ったか?」
「なんでもないよ。もう、ほんとなんでもない……」

 変なヤツ、と不思議そうな顔をする男にむかっ腹を立てるも、ぐっとおさえた。いまは彼についていくしかないのだ。きっと彼はアークティック校の生徒なのだろう。ならばこの土地について一も知らない私よりずっと頼りになる。と思ったのも束の間だった。いつの間にか視線の先に見えていた校舎の影が消えているではないか。まさかと疑いながらくるりと首だけふり返る。

「ちょ、ちょっと! ほんとにこっちで合ってるの?」

 ぐいぐいと彼の袖を引っ張りながら声を荒らげる。なんで袖にフリルついてるんだ? いや、いまはそれどころではない。
 焦った様子の私に、彼は思い出したように笑ったのだった。

「ああ、俺、方向音痴だった!」


 以上が私とヨハン・アンデルセンとの馴れ初めである。あそこで彼を止めなければ危うく殺されていたことだろう。あの後は方向音痴だとのたまう役立たずのヨハンを引きずりながら、なんとか自力で登校した。私はがんばった。


2
 思えば留学初日にヨハンと出会ってしまったのが運の尽きだったのかもしれない。

「偶然だな。ちょうどよかった、次の移動教室いっしょに行こうぜ」

 自分ひとりで目的地にたどり着けないことを悟っているからか、ヨハンはを見かけるたびに行動を共にしようとしてきた。最初は知り合いもいなかったはそれを快く承諾していたが、こうも毎日いっしょにいるとさすがにうんざりしてくる。 ましてや「またあの二人いっしょにいるよ、本当に仲良いね」などという声がひそひそと聞こえてきたり、挙句の果てには迷子案内役といったあだ名までつけられたりしてしまう始末だ。子どもじみた冷やかしに一々目くじらを立てることはしなかったが、気にならないと言えばそれは嘘になる。

「ヨハンさ、方向音痴の解決策さがしたほうが良いんじゃない?」

 いったいこの男は私と出会うまでどう過ごしてきたのだろう。こんな調子じゃ日常生活でさえままならなそうだ。
 ヨハンは一瞬怪訝そうな顔をして、すぐにその瞳に光を走らせた。

「そんなのもう見つかってるよ。
 が俺のことどこへでも連れていってくれてるだろ」

 そんなの解決策なんて呼べたものじゃない。そう言ってこの男は理解するだろうか。
 心の中で悪態をついても、だれかに頼られているということに対してじわじわと胸の奥が満たされていく感じがした。

「さあ、デュエル場行こうぜ! デュエルだ!」
「またヨハンとデュエル? そろそろ違う人ともデュエルしたいんだけど」
「つれないこと言うなって!」

 早く早く、と急かすように誤った道へ引きずりこもうとするヨハンを押さえる。なんだって方向音痴の癖に前を歩きたがるんだ。


3
 アカデミアの姉妹校であるだけに、アークティック校のデュエル施設も最新の技術が導入されていて、整備が行き通っている。実技の授業前ともなるとさすがに生徒全員がそわそわと落ち着かない様子だ。みんな早くデュエルがしたくてたまらないのだろう。かくいう私もその中の一人だ。

 私が在籍しているアカデミア本校ではスクールカーストがたいへん厳しい。自分より上位の決闘者にデュエルを挑む際には申請書を書かなければならない制度があるほどだ。カイザーや、今は行方不明の天上院吹雪なんかに挑んだって事務で申請書を破り捨てられるのが落ちだろう。
 だけどアークティック校は違う。本校と比べれば筆記や教員のレベルは間違いなく劣るだろう。その中でただ一点、留学して本校の生徒と差をつけられるとしたらここしかない。ノーリスクで強者と戦えるこの環境こそが、アークティック校の美点だ。

 そしてアークティック校で一番強い決闘者が――恐らく、ヨハン・アンデルセンである。
 この学校にきてから、ヨハンと出会ってからというもの、彼がだれかとデュエルして負けたところを見たことがない。きっと校内の実力者にはすでに勝ち星を得ているのだろう。実際に戦ってみれば、彼のプレイングはかなり洗練されていることが分かる。彼こそ本校に留学させるべきではないか。そんな彼がなぜ、毎日のように私とデュエルしているのかは甚だ疑問だった。飽きないのだろうか。


「――クイーン・バタフライ ダナウスで直接攻撃だあ!」

 ああ、今日も私の負けだ。
 攻撃力2800の大ダメージを食らった衝撃で、地に膝をつける。そうすると誰よりも早くかけつけては手を差し伸べてくるのが、まさに今戦っていたヨハンなのだ。

「今日は昆虫デッキなんだね」
「なかなかいいコンボが決まったと思わないか?」
「じゃあもうずっとこのデッキを使えばいいのに」
「いいや、それはダメだね」

 何日にもわたって、彼とばかりデュエルしているが、ヨハンが同じデッキを二回以上使う姿を見たことはなかった。そのおかげで飽きることはなかったが、対策を練ることもできなくて歯がゆい毎日が続いている。

「このデッキにも精霊は宿らなかったからな」

 ヨハンがひとつのデッキに固執しないのは、なんでもデュエルモンスターズの精霊が関係しているらしい。彼は幼い頃からその精霊が見えていたという。でも、自分のデッキに彼らが宿ることはなかった。ヨハンは心を通い合わせる精霊たちとの出会いを待ち望んで、毎日デッキを変えているのだ。
 精霊が見えない私からすれば、なんともロマンチックな話だが当の本人はいたって真剣だ。

「ヨハンが同じデッキを使ってくれたら私にだって勝ち筋が見えてくるのに、悔しいなぁ」
「なんだそりゃ。俺のために自分の戦術を変えるのか?」

 その言い草になんとも言えぬ苛立ちを覚えた。そりゃあ強い決闘者からしたら私の考えなんて陳腐なものかもしれない。自分の好きなカードを使って、コンボを考えて、それで勝てたら言うことなんてないけれど。

「……相手のプレイングを研究して対策を練るのだって、戦略の一つだから」

 すこしそっけない声が出た。負けて八つ当たりするなんて、最悪だ。
 でも私の言っていることだってあながち間違いではないはずなんだ。スポーツだって、相手のスタイルを見て、自己の能力を高めたり改善したり、相手を倒す方法を考えたりするのだ。とはいえ敗者に口なしだ。ばつが悪いが、ヨハンの表情を窺う。こまったような、複雑な笑顔だった。普段はどこか抜けているくせに、こういうところは聡い彼は私よりもずっと大人に見えた。

「ああ、否定するつもりはなかったんだ。どんな相手とのデュエルだって、俺は喜んで受けて立つぜ」

 そう言うヨハンの笑顔が眩しかったのは、デュエル場のいやに明るい照明のせいなのだろうか。光に酔いそうになって、思わず目を細めた。


「あんたみたいにデュエルできたら、楽しいんだろうなあ」
「当たり前だろ? 勝っても負けても、デュエルって楽しいもんだぜ」

 それはどうだろうか。やっぱり勝てば負けた時よりずっと楽しいに決まっている。なにより、私は強くなりたいんだ。留学の話を受けたのも、誰よりも強くなりたかったからだ。

はどうして勝ちにこだわるんだ?」

 私はそんなに勝利に固執しているように見えるのか。ヨハンから突きつけられた事実に、小さく首を傾げた。いや、実際その通りなのだろう。
 アカデミア本校では、女子は実力を問わずオベリスク・ブルーに所属させられる。それを妬まれたり、茶化されたりすることも多い。花嫁修業のためのデュエル、なんて言葉が一番嫌いだった。私は一人の決闘者として、学園の門をくぐったのだ。女だからというくだらない理由で嘲ってくる輩なんかには負けてやりたくない。きっとその思いが勝利への執着心と発展したのだ。

「すげえ、そうやってしっかり自分の意思を持ってるから精霊たちはお前についていくんだな」
「ヨハンには、私のカードの精霊が見えるの? っていうか精霊宿ってるの?」
「もちろん。だからとのデュエルはやめられないぜ」

 そうか、ヨハンが飽きもせず私とデュエルしていたのは、精霊たちを見るためだったのか。その答えは、パズルのピースが当てはまるようにしっくりときた。
 精霊が見えない決闘者のデッキにも、精霊は宿るのだという。いつか私にもこの子たちが見える日がくるだろうか。その時には、ヨハンのようにデュエルを心から楽しめる決闘者になっていたいと願った。

「あーあ、俺にも早く運命の出会いがこねぇかな!」


4
 こんこん。ベランダの窓から私を呼ぶ音がする。こんな所から訪ねてくる人間なんて一人しか知らなかった。

「……ヨハン、だれかに見つかったらヤバいんじゃない」
「そう簡単に見つかってたまるかよ」

 ベランダからの侵入者、ヨハンは能天気に笑った。アークティック校の寮ももちろん男子寮と女子寮に分かれていて、女子寮に男子が入ることは原則として禁止されている。そのためヨハンはなにか用事があるときは、こうしてベランダに現れるのだ。

「そんなことより、今日は頼みがあってきたんだ」

 ここにくるまでに木をのぼってきたのだろう。服にはりついた木の葉を払いながら、ベランダの柵に寄りかかる。柵はみしりと嫌な音をたてた。

「今度ヨーロッパで開かれる大会に出ることになったんだ」
「へえ、それはすごい」
「だからさ、いっしょに付いてきてくれよ! 俺ひとりじゃ絶対に辿りつけっこないだろ?」
「行ったこともない場所にまで連れていかなきゃならないの?」

 私だって初めて行く場所は無事に到着できるか自信がない人間だ。アークティック校に来た初日だってそうだ。あの時は今と反対に、ヨハンがいなければ私は凍え死んでいただろう。
 ヨハンは両手を突き合わせて、すがるようにこちらを覗いてくる。私は彼によわいのかもしれない。こうなるともう、断ることなんてできないように思えた。

「仕方ないなあ、いっしょに行ってあげよう」
「本当か!」

 ヨハンの表情がぱっと綻ぶ。また、じんわりと胸の奥があったかくなった。


 煉瓦の家の住宅街や、果物や魚介類が並んだ露店。自分の故郷では見られなかった風景が目の前に広がる。若干の緊張をはらんでそれらの横を通り過ぎた。なんだか田舎者まるだしで恥ずかしい。隣にいるヨハンはといえば、数刻後のデュエルに心を奪われてしまっているようだった。
 せっかくの遠出だというのに雰囲気の欠片もない現状に落胆する。……私はどんな雰囲気になることを期待していたのか。

 会場につくと、席にはすでに観客がまばらに座っていた。この町の人たちもたいそうデュエルが好きらしい。受付を済ませて戻ってきたヨハンに、私も応援席で見ていくことを伝えた。

「必ず勝つから、見ててくれよ」

 当たり前だ。そもそもヨハンが負けるところなんて、私には想像もつかないのだ。
 こつんと拳を合わせて、戦地へ赴く彼を見送った。


「ヨハン、おめでとー!」

 決勝戦が終わり、大きな歓声が湧き上がる。席から立ち上がって手を大きく振ると、ヨハンからもピースサインが返ってきた。ヨハンの優勝が自分のことのようにうれしく感じた。
 その時だった。とんとんと肩を叩かれ振り返ると、長髪の男が立っていた。その銀糸のカーテンから覗く琥珀色の瞳に威圧感を覚える。あれ、この人どこかで見たことがあるような。男は人がよさそうな笑みをたたえた。

「ユーはヨハン・アンデルセンのお知り合いですか?」

 そうだ、こんなところにいるわけがないと思っていたから気づかなかったのだ。この銀色の長髪、そして特徴的な喋り方といえば一人しかいない。デュエルモンスターズの創始者、I2社会長のペガサス・J・クロフォードである。
 興奮で熱をもった心に冷水をかけられたようだった。手の先にまで緊張が走る。

「ヨハンとは友達です」
「それは好都合デース! 彼のところまで案内してもらいたいのですがよろしいでしょうか」

 これが、ヨハンにとっての「運命の出会い」となるとは、この時の私には予想もつかなかった。

 まだデュエルステージにいるヨハンに会いに行く。ヨハンは私の姿をとらえるなりこちらに走ってきたが、隣のペガサス会長を見て不思議そうな顔をした。そりゃそうだろう。私だってこの人が自分の隣にいるだなんて今でも信じられない。

「えーと、……?」
「アンデルセンボーイにちょっと話がありましたので、彼女には付き添ってもらいましタ」

 そしてペガサス会長はアタッシュケースを開いて見せた。その中には丁寧に収納された七枚のカードが入っていた。その輝きはまるで宝石のようでとても美しい。
 宝玉獣と呼ばれるそのカードたちは世界で一枚しかない貴重な物らしい。ヨハンはその宝玉獣たちに選ばれた決闘者なのだと会長は語った。カードが決闘者を選ぶなんて、とも思ったが、案外嘘でもないかもしれない。ヨハンからあれだけ精霊の話を聞かされたのだ。そういうオカルトな話も信じられるようになってきた。
 こうして、宝玉獣たちはヨハンの手に渡ることとなったのだ。


5
 移動教室だというのに、ヨハンが見当たらない。いつもならこちらが呼びかけずとも寄ってくるはずなのに。またどこかで迷子になっているのだろうか。
 仕方なしに、その日は一人で移動先に向かうことにした。

「お、! 今日も俺とデュエルするだろ?」

 移動した先のデュエル場で、デュエルディスクをセットしたヨハンに迎え入れられる。彼が私より先に目的地についていることに違和感しか覚えなかった。

「今日は一人でここまで来れたんだ、すごいね」
「ルビーが案内してくれたんだよ。こいつ道を覚えるのが早いからすっごい助かるぜ」

 な、とヨハンは自分の肩に視線を移す。きっとそこには宝玉獣ルビー・カーバンクルが存在しているのだろう。あいにく私には見えないが。一人だけ置いていかれてしまったような、とり残されたような寂しさがあった。

 宝玉獣を手にしてから、ヨハンはすこし変わった。道案内を私に頼まなくなったし、宝玉獣以外のデッキを使わないようになった。まるで私と出会うずっと前から彼らといっしょだったかのように、宝玉獣は自然とヨハンの家族になっていた。
 そして、なにより変わったのは、宝玉獣を使うようになってからヨハンはよく負けるようになった。
 宝玉獣デッキにはまだエースカードが存在しない。展開力や優秀なサポートカードがあるとはいえ、全体的に攻撃力が低い宝玉獣にエースがいないのは厳しい。そこを突かれて敗北することが多くなった。

「あー今日も負けた負けた! くっそぉ、やっぱり強化カードも入れるべきかなあ」
「……うん、それか攻撃を無効化するカードとかもいいかもね」

 心に靄がかかったように気分が沈んだ。ようやくヨハンに勝てるようになったとはいえ、自分の成長をまったく感じることができなかった。負け始めたヨハンの方が成長している気さえする。
 アークティック校にきて、ヨハンと出会って、私はすこしでも強くなれただろうか。この数か月、私は何をしていたんだろう。もう留学期間もそろそろ終わろうとしているのに。

「ヨハン、来週なんだけど――」
「おい、ルビー! どこ行くんだよ? 悪いな、あとでちゃんと話聞くから!」

 それだけ言い残すと、私には見えないルビーを追いかけてヨハンは走って行ってしまった。また今日も言えずに終わってしまった。向けられた背中がいやに遠く感じた。

「今日は迷子の王子様を迎えに行かないのかよ?」

 直接私に投げかけられたものではない冷やかしが飛んでくる。お前らまだそんなこと言ってるのか。幼稚な言葉にもう腹を立てることすらしなくなっていた。
 だってもう、私が迎えに行く必要なんかないから。


6
「……さむいなぁ」

 結局、留学期間中にアークティックの寒さに慣れることはなかった。制服の上に厚いコートを羽織り、ふるえる肩を隠す。そういえば、初めてここに来た日はヨハンが上着を貸してくれたんだっけ。全然あったかくはならなかったけど。
 空に黒い煙が立ちのぼる。煙は曇り空に同化して、世界を灰色に染めていく。

 さく、と雪を踏みしめる音がした。
 最後までヨハンには私が帰る日を伝えることはできなかった。どうにもタイミングが悪かった、そうとしか言いようがない。故意に伝えなかったわけではないのだ。だけど、どうして彼はここにいるんだろう。

「今日だったんだな、本校に帰る日」

 目だけで返事をする。静寂が流れて、この空間だけが世界から切り離されたようだった。頭のうえに雪が降り積もっていく。

「教えてくれたって良かったろ」
「聞いてくれなかったのはヨハンだよ」

 責めるような声が出た。ヨハンの瞳が揺れる。彼が悪いわけではないのに、それでも溢れ出てくる思いをせき止められなかった。頼られることに勝手に期待して、勝手に裏切られた気になって、人に当たるなんて最低だ。
 出航の合図が鳴る。長かったようで短かったアークティック校での生活も終わる。きっともう、ヨハンに会うこともないだろう。

「ルビーたちがいるからヨハンはもう道に迷ったりしないよね。じゃあ、元気でね」
! 次は俺が――」 

 肌に突き刺さるような強い風がヨハンの言葉を攫っていった。


 船内は外とは比べ物にならないほど暖かい空気に包まれていた。息苦しいのは暖房のせいだろうか。頭が重くて、胸やけがひどい。膝を抱え込むようにして座っていると、頭上から声が降りかかってきた。

「泣かないで、マスター」

 泣いてなんかない。ただ、すこしつかれただけだ。
 初めて聞くのに、どこか懐かしいその声を子守唄にして、そっと目を閉じた。


7
 久々のアカデミア本校は随分と環境が変わったように思えた。
 万丈目の制服がなんだか黒くなっているし、三幻魔だのなんだのと聞いたことのないカードの話題がちらほらと聞こえてきた。オシリス・レッドには期待の星が入ってきたようで、スクールカーストも以前よりずっと緩和されている。


 それでも私をとりまく環境というものはあまり変わらなくて、毎日がたんたんと過ぎていった。
 強いて変わったことを挙げるならば、ヨハンと別れた日以来、カードの精霊が見えるようになったことだろうか。あの日、私を励ましてくれたのは椿姫ティタニアルであった。なにが引き金となって彼女が見えるようになったのかは今でも分からない。デッキには多くの精霊が宿っていたようで、騒がしい彼らのおかげで元気をつけることができた。
 校内でも精霊たちをよく見かけるようになった。おジャマ三兄弟や羽が生えたクリボー、たまにデスコアラの姿も見える。なんとまあ見えたら見えたで賑やかすぎるくらいだ。

 それから、強くなったと褒められることが増えた。簡単に言うと、勝率が上がったのだ。人は留学の成果が出たんだねと言ってくるが、それはあまりピンとこなかった。
 どちらかというと、ティタニアルたちの助言があったからかもしれない。彼女たち、特に姫葵マリーナは随分とおしゃべりだ。デュエルが終わった後に、やれあのカードがあった方がいいだの、あの場面はこうした方が良かっただのと私に文句を言ってくるのだ。そういえばアークティック校にいた頃も、ヨハンとこうしてデュエル後の勉強会を開いたものだった。
 私の戦術、デッキ構築に一喜一憂する彼女たちがなんだかとてもおかしくて、デュエル中に笑ってしまうことも度々あった。なんだ、デュエルってこんなに楽しいものだったのか。精霊といっしょにデュエルするのって、こんなに楽しいものだったんだ。もしかしたらヨハンにも彼女たちのこういう姿が見えていたのかもしれない。
どこにいても、なにをしても、彼のことを思い出す。

「お前、楽しそうにデュエルするなあ」

 羽が生えたクリボーを連れたオシリス・レッドの少年が言った。どこかヨハンに似ている笑顔だった。

「当たり前でしょ。デュエルって、勝っても負けても楽しいものだからね!」

 また、彼とデュエルがしたい。


8
 留学してから一年以上の時が過ぎた。デュエルアカデミアでの生活はあっという間だ。デュエルして、笑って、またデュエルして。気づけば私ももう三年生となっていた。桜姫タレイアがふぅっと吐息にのせて花弁を散らせた。かぐわしい花の香りがアカデミアの森に吹き抜けていく。植物族の彼女たちはこの場所がたいそうお気に召したようで、私自身もよくここに足を運ぶようになった。
 今日は始業式だ。なんとなく面倒くさくてサボってしまいたい誘惑にかられる。そんな思いは紅姫チルビメに叱責されてしまったが、重い腰は上がらなかった。


 うんと背伸びをして、大きなあくびを一つこぼす。すると精霊たちがざわざわとどよめきたった。
 なんだ、私のあくびにそんなに不満があるのか。そう思ったが、どうやら彼女たちの関心の矛先は別にあったらしい。その視線を追うと、懐かしいけど、一日たりとも忘れたことがない思い出があった。

「よ、ヨハン……? なんで、ここに」

 初めて会った時と変わらない笑顔が佇んでいた。あまりに予想外な登場に、それ以上なにを言うべきか分からなくなってしまう。
 ルビビっと足元で甘える声がした。ルビー・カーバンクルがその長いしっぽを揺らして、すりすりと顔を私の脚にすりつけてくる。そっと腕を伸ばすと、ルビーは胸に飛び込んできた。精霊に触ることはできないが、抱き上げる格好をしてやれば、ルビーはちょこんとそこに収まった。

「あの日、言っただろ。次は俺が、のことを迎えに行くって。ルビーがのにおいを覚えてたから、連れてきてもらったんだ」

 あの日――そう言われて思い出すのは留学期間最後の日だった。風に盗まれて届かなかったヨハンの言葉。なんだ、そんなことを言っていたのか。
 どうやら今回はヨハンがアークティック校の代表としてアカデミア本校に留学しに来たらしい。ヨハンはまたぽつりぽつりと口を開いた。

「昔さ、俺のせいでからかわれてた時があっただろ。だからあんまり迷惑かけないようにしっかりしなきゃって、今度は俺がを引っ張っていけるようにならなきゃってずっと思ってた」
「……私のこと、いらなくなったわけじゃなかったんだ」
「はあ? なんのことだそれ?」

 心底わからない、といった声が出る。自分の勘違いが恥ずかしくて、それ以上口を開かずにいると、ヨハンの興味は別のところへ移った。普段はその脈絡のなさに振り回されるのだが、こういう時は都合がいい彼の性格に感謝した。

も精霊が見えるようになったんだ」
「うん、そうなの。ほかにもたくさん聞いてほしいことがあるんだけど……」

 話を続けようとしたところをヨハンの右手に制される。

「わかってるって、デュエルだろ?」

 精霊が見えるようになったことも、最近は勝っても負けてもデュエルが楽しくて仕方ないことも、ヨハンがいなかった一年間のことも、全部、全部聞いてほしい。でもきっとこの一回のデュエルで余すことなく伝わってしまうのだろう。なんだかもったいない。何度でも、何度でもヨハンとデュエルがしたい。

「エースのいないデッキに負けてあげるほど、私のお姫様たちは優しくないよ!」
「俺と宝玉獣の絆はどんな壁も打ち破る!」

 激しい風が私たちの間を通り抜けた。森の木々がざわざわと騒ぎ立てる。
 ヨハンは気づいていないけれど、私は出会った日からずっと彼に引っ張られてここまできたのだ。精霊が見えるようになったのも、デュエルが楽しめるようになったのも、きっと彼がいたからだ。なんて、そんなことまではこのデュエルで伝わらなければいい。そう強く願った。




9
 ヨハンたちがアカデミア本校に留学してきてから数日が経過した。私は相変わらずお気に入りの森へ来ては昼からうんとごろごろしている。そんなところに珍しい客が来た。宝玉獣たちだ。宝玉獣たち自体はヨハンと毎日のようにデュエルをしているから珍しいわけでもないのだが、彼らが主人なしに私の前に現れたのは今日が初めてだ。
 こちらをじっと見つめてくる熱いまなざしに、一歩後ずさった。

「ふぉっふぉ、そんなに身構えんでもよいぞ」

 エメラルド・タートルが笑った。

「今日はにお願いがあってきたのよ」
「おねがい?」

 にこりというよりかは、にやりとした笑みだった。アメジスト・キャットのその言葉になにか色んな意味が含まれているようで、ますます訝しんだ。

、ヨハンのことは君に任せたよ」

 サファイア・ペガサスのその言葉に、宝玉獣たちがどっと色めき立つ。なにをそんなに興奮することがあるのだろうか。だいたい、その仕事は彼らで足りているはずだ。

「任せるってなにを任せるの。道案内ならもうルビーがしてくれるし、あと私ができることっていったらデュエルの相手? それならこんな改まって言うことじゃないし……」
「えっ」

 誰だ非難の声を上げたのは。その短い発声のなかに私を馬鹿にした思いがあったことはすでに見抜いているぞ。ぎんっと宝玉獣全体を見渡せば、コバルト・イーグルの肩が大きく跳ねた。おまえか。

「ヨハンもヨハンだと思っていたが」
の方もたいがいだな……」

 やれやれと言わんばかりの声色だった。私が悪いのか。

「ルビィ……」

 鳴き声だったにもかかわらず、そこでルビーからも呆れられていることを何となく悟った。どうやら私が悪いらしい。結局、最後まで彼らがなにを私に任せようとしたのかは分からずじまいだった。

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