リクエスト作品:ありがとうございました!


1

 万丈目は病院という場所があまり好きではなかった。薬品のものなのかなにかはわからないが、どうしても鼻につくあのにおいが苦手であった。あのにおいをかぐと、自分のからだもむしばまれていく気がしてならない。病院に充満したそれこそが、人間を死へ導くのではないかというばかげた空想を否定できずにいた。

 そんなこともあって、万丈目は病院に行くことを嫌った。もちろん注射がこわいとか、処方される薬がまずいとか、嫌いな理由はたくさんある。デュエルアカデミアに入学してからは大きな病気をすることもなく、設備の行き届いた保健室で世話になる程度ですんでいたことは、より万丈目を病院から遠ざけた。

 しかし自分が要因ではなく、病院にいかなくてはならぬ時は訪れた。次兄の正司が過労でたおれたとの報せがはいったのだ。幸い大事にはいたらなかったようだが、療養の意味もこめて入院をすることになったという。
 万丈目の成績不振が問われたころは確執がうまれていたものの、基本的には仲のよい三兄弟だった。だからたとえ行きたくない場所であろうと、万丈目は兄のために病院に足を運ぶことをためらわなかった。

 病院といっても、受付前のロビーは意外とにぎやかである。順番を待って椅子にすわっているのは高齢者が多く、笑顔で雑談をしている。彼らのおかげかはわからないが、この入り口付近からはまだ万丈目が恐れるあのにおいはしてこなかった。

 丈作におしえてもらった病室の番号を頼りに、院内を進む。階をのぼるごとに、つんと鼻が痛んだ。特に病室をさがして奥へ奥へと移動するほど恐怖は増していった。ロビーとは比べ物にならないほどしんとしていて、あいている大部屋から時折みえる患者たちはくらい顔でベッドに横たわっていた。
 あのにおいが強くなる。鼻から毒がはいりこんでくるようで、万丈目はおもわず眉をひそめた。

「準、きてくれたのか」

 ぞっと肌が粟立つような感覚をおぼえた。正司のもともと雪のように白かった顔は、生気を失ったようにあおっちろかった。そこにできた黒い隈がひときわ目立つ。堂々と自信に満ちていた瞳はどこかくすんでいた。

「正司兄さん、おかげんはどうですか?」
「思いのほか良好だ。しかし、まわりがどうにも過保護でな。まだここから出られそうにない」

 そう笑う兄はとても大丈夫そうに見えなかった。正司のあの高慢な態度がすっかり身をひそめているではないか。きっとこの死のにおいが兄の生きる力を吸いとっているに違いないと、万丈目はどこか確信じみた結論をだした。病は気からと言うが、病院がひとの気をよわらせているのであればたとえ医者がどれほど手を尽くしたとしても、きっと病は悪化するのだろう。

「また来ます。どうかゆっくり休んでください」
「お前もずいぶん過保護だな。俺のことより、デュエルに励め」
「大丈夫です、僕はジェネックスの優勝者ですよ」

 とんと自身のこぶしを左胸におくと、正司はうれしそうに、自慢げにうなずいてくれた。それが誇らしくもあり、気恥ずかしくもあった。
 この兄を見捨てて帰るわけにはいかない。万丈目は兄が退院するまでの短い期間、実家に滞在することを決めた。


 帰り路のしずかな通路の一角で、きゃいきゃいと子どもたちのはしゃぐ声が聞こえた。その声があまりにもたのしそうなので、万丈目はその声がどこから聞こえるのか気になって仕方なかった。
 この場所に似つかわしくない声だ。もしかしたら外から聞こえてきた声なのか。いや、ちがう。声はどんどん大きくなる。
 声がする病室の扉は全開だった。万丈目はそうっと中の様子をうかがう。

 病室には子どもたちがひとつのベッドに輪をつくっていた。どうやらふたりの子どものデュエルをまわりの子が囲って観戦しているらしい。しかし、そこは問題ではないのだ。この部屋からはまるで生の象徴であるような、太陽のにおいがしてくるようだった。子どもたちの顔はいきいきとしていて、とてもどこかが悪くて入院しているふうには見えなかった。
 輪の中心には自分とおなじくらいの少女がいた。彼女は子どもたちを相手にデュエルをして、まるで入院患者とは思えないほど元気な笑顔でまわりをあかるくしていた。陽だまりのような少女だと思った。

 その後、頻繁に次兄のお見舞いに訪れては、彼女の病室を覗くようになった。彼女のまわりにはいつもたくさんの子どもたちがいて、万丈目は話しかけることもせずただその様を見守った。



2

 幾度目かのお見舞いで、いつも賑やかなあの病室から声が聞こえないことに気づいた。まわりに子どもたちの姿はない。からっぽの空間に、ぽつんと少女だけがとり残されている。人がいないというだけで、とりまく空気が違うように感じられた。

 見えない糸に引かれるかのように、万丈目のからだは部屋のなかに入りたがった。しかし彼女とはなんの関係もない。こちらが一方的に彼女を認識していただけだ。いきなり話しかけられたところで彼女も迷惑だろうし、こちらとて話すことなど特になかった。それなのに、足は縫いつけられたかのように病室のまえから動かなかった。

 ずっと立ちすくんでいたためか、気づけば彼女の視線はこちらに向いていた。透きとおった目をくりくりさせながら、それでも驚きの色はうつっていなかった。

「君、ここ最近よく見るね。中に入っておいでよ」

 どうやら彼女もこちらを認識していたようだった。カッと熱くなる顔を俯かせぎみに、万丈目は招かれるままに足を踏み入れた。
 大部屋だというのに彼女以外に患者はだれもいなかった。ああ、だから子どもたちが騒がしくしていても許されていたのかと納得した。

「今日は子どもたちがいないのだな」
「ああ……みんなもう退院したの。私としてはちょっとさみしいけど、からだがよくなった証拠だし、よろこんであげないとね」

 またおともだちをさがさなきゃ。
 そう笑った彼女はあまりにも儚くて、万丈目はたまらず口をはさんだ。

「仕方ないな、デュエルならこの俺様が相手になってやろう」

 ふんぞり返る万丈目に彼女はぽかんと言葉を失っていたが、くすくすと声を漏らしながら「じゃあ、おねがいします」と提案を受けいれた。


 少女の名前はといった。これまで子どもたちとデュエルしていたことが信じられないほど、は弱かった。彼女のデュエルする姿を遠目から見てきた万丈目は、普段アカデミアの生徒を相手にするように全力で挑んだことをすこしばかり悔いた。戦うからには正々堂々、とは思うものの、これでは大人げなさのほうが目立っているようだった。本人はとくに気にしていなかったが、それでも万丈目にはばつが悪かった。

 のデッキはひと昔前のカードばかりで構築されており、とてもいまの環境で戦えるものではない。ライフ回復の効果をもつモンスターや魔法を多く組みこみ、ビッグバンガールの効果で相手にダメージを与える元祖キュアバーンと言うにふさわしいデッキであった。しかしビッグバンガールが一枚しか入っていないうえに、守りもうすい、個々のモンスターの攻撃力も低い……といった初心者同然の構築だった。

「おまえ……よくこんなデッキで戦っていたな」
「ずっと入院してるからカードも買いにいけないし、そもそも買うお金もないしね……」

 恥ずかしそうな、それでいてむっとしたような口調だった。不健康そうな色の手がいつくしむようにカードの背を撫ぜた。
 
「弱くても、デュエルをするのは好き。私はおもしろいことが言えるわけでもないし、みんなとからだを使って遊ぶことなんてできない。でも、デュエルは私とみんなをつないでくれる」

 つよい意志がやどった、生に満ちたまなざしをしていた。とてもではないがカードを買いにいこうという無責任な誘いも、買ってきてやるという不躾な行為もできそうになかった。きっとはそういうことを望んではいないことだけはわかった。
 万丈目がしてやれることなどないのだ。目の前の少女はだれよりも弱いくせに、だれにも負けない強さがあるようだった。それがなぜだか万丈目にはうらやましく思えた。
 そう思うことさえも悔しくて、万丈目はおせっかいだろうがなんだろうが彼女のデッキの改良を手伝ってやった。本人は認めなかろうとも、どんなカードにも可能性を見いだせる天賦の才が万丈目にはあった。その才をいかんなく発揮してやれば、はうれしそうに目を輝かせた。

 ふたりはお互いのことを名前くらいしか知らなかった。の病状も、交友も。万丈目の家族も、アカデミアに通っていることも。ふたりはなにも語らなかった。ただふたりの間にはデュエルがあるだけだった。それで十分だった。



3

 もう兄は退院し、すっかりと元の調子に戻っていた。消え入りそうな顔で見舞いにきたことへの謝辞をおくってきた彼の姿はもうどこにもない。病院から出たとたんに、やれさっさと学校にもどれだのもっと名を挙げろだのと尻を叩いてくるようになった。それが煩わしくもあったが、元気でいてくれたほうがずっとましだと思えた。

 やはり病院にはひとをおびやかす魔物が棲んでいるのかもしれない。
 ふと、のことを思いだした。いったいあいつは、いつからあの檻のなかにとじこめられているのか。いつ自由になれるのか。
 からはいつも生のかおりがただよっていた。彼女は弱々しかったが、いきいきとしていた。しかしこのまま檻のなかですごす時間がながくなれば、きっとあそこにひそむ魔物が牙をむくだろう。もう病院にいく必要もないのだが、どうしてものことが気になって、とうとう彼女のために足をはこぶことにした。


 出迎えてくれたはいつものようにきらきらとした笑みを送ってきた。今日も彼女はひとりだった。つぎに会う約束なんてしていなかったが、どうやら来ることを確信していたようだった。

「ほしかったカードをね、お見舞いの品にってお父さんの部下のひとがもってきてくれたの。看護師さんに私がなにをほしがってるか聞いてくれたみたい。時季はずれのサンタさんかと思っちゃった」

 これでまた強くなれちゃうね。はきゃらきゃらとうれしそうに笑った。その手には隅がまるまった使い古したカードとは違い、ぱりっぱりに角ばった新品がにぎられている。なんだか彼女の手には不釣り合いに見えた。

 からはじめて家族のはなしがちらりとでてきた。だけどそこにはなにか含みがあるような気がして、万丈目がそれ以上自分から首をつっこむことはなかった。話したくなければ話さなくていい。興味がないというよりも、彼女の表情がくもることを恐れたのだ。病はこころの弱みにつけこむ。

 そんな万丈目のやさしさには内心感謝していた。聞かれて困ることではなかった。ただ、話してもつまらないだけだった。が親の顔を見るのは一年に一度ていどだ。会ったところで、ああ、そういえばこんな顔してたな。という感想しか生まれてこなかった。にとっては病院のスタッフのほうがずっと家族だった。この病院には家族がいる、ともだちもいる。そして。

 ぎゅうと布団のしたでわき腹をつねる。背中にはびっしょりと汗をかいていた。はにっこりと顔をつくってから万丈目と視線を合わせた。

「ねぇ、また来てくれる? 私とデュエルしてほしいの」
「デュエル? そんなの今でもできるだろう」
「今はまだ、だめ。一週間……ううん、二週間後にまた来てほしい。そのとき強くなった私のデッキを見せてあげよう!」

 彼女の真意をのみこめないまま、万丈目はすなおにその条件をのんだ。なぜだか、そうしなくてはいけない気がしていた。はまたうれしそうに頷くのだった。



4

 アカデミアに帰ってきてから、万丈目はぼうっとすることが多くなった。虫のしらせとでもいうのだろうか。これからよくないことが起こりそうで多少身がまえていたのだ。それがなんなのかは見当もつかない。具合がわるいなら保健室にくるように、と鮎川先生からも忠告されたが、あそこは病院を連想させるので万丈目はかたくなに拒んだ。

 ブルー寮のおおきいベッドの上にデッキをひろげる。頭の上や横でおジャマたちのおしゃべりな口がよく動いた。だまれ雑魚どもと怒鳴り散らせど彼らはたのしそうに抗議するだけだった。まったく似てはいないが、その笑顔にふとを思いだして、万丈目は閉口した。彼女はもうデッキを組み終わったころだろうか。

「あ、ひょっとしてアニキ、あの子のこと考えてるでしょお」

 ヒュウヒュウ、とへたくそな三つの口笛が部屋にひびいたところで、また万丈目は宙にむかって枕をふりまわした。隣の部屋からドン、と壁をたたく音がとどいた。心のせまい隣人だった。


 そして約束の日、いつもの病室を訪れると新たに入室したのか患者が増えていた。出迎えてくれるがいるはずの寝台にはちがう少女がたいくつそうに本を読んでいて、思わず首をかしげる。
 病室の番号を確認しても間違いはなかった。だが、入室者のなかに彼女の名前は見当たらなかった。

 これ以上ひとりで考えても仕方のないことだ。そう判断し、万丈目は速やかに受付で問い合わせた。看護師はの名前をだすとすこし驚いた様子で、それでも納得したように万丈目を見る。

「もしかしてあなた、万丈目くん? ちゃんが、今日あなたが来るかもって言ってたのよ。あなただったら通しても大丈夫ね」

 ちゃん、おともだちができたって喜んでいたのよ。看護師はそう言ってリップが塗られた桜色のくちびるで弧を描いた。ともだちとはほんとうに自分のことなのだろうか。面とむかってともだちだなんて言われたことがない。それでも胸の奥がむずがゆいのは、きっと己もそういうことなのだろう。
 そわそわとしはじめた万丈目とは裏腹に、さきほどまで和やかだった看護師の表情はさっと引き締められた。

ちゃんは部屋を移ったの。案内するからついてきてね」

 ああ、あの匂いだ。万丈目はたまらずむせかえった。今日は一段とあの匂いがつよい。いやな予感がおしよせる。アカデミアで感じていたおぼろげな不安とは比べものにならない。それでもまだ、彼女のまわりならあの匂いがとどかないかもしれない。そんなあわい期待が、万丈目の足を速めさせた。


 魔物だ。はもうとっくに、魔物に魅入られていたのだ。
 案内された先の病室につくなり、万丈目はその場で呆然と立ちつくした。臨床モニターの音がやけに耳にさわる。

 の点滴を替えていた看護師がようやくこちらに気づき、近寄ってくる。ここまで案内してくれた看護師になにか話してから、万丈目の肩にぽんと手をのせた。

「じゃあ、なにかあったらナースコールで呼んでね」

 なにかとはいったいなんだ。あの匂いが病室にたちこめる。息をするのがいやになった。
 寝台に横たわるはまるで別人だった。あのとき見た兄よりもよっぽどひどい。血の気をうしなった真っ青な肌に、からだから伸びるたくさんの線。万丈目を見つけていつもの微笑むと、その吐息で酸素吸入のフェイスマスクがくもった。

 万丈目は悟った。これは不安もかなしみもくるしみもすべて通りすぎたあとに生まれた諦観の笑みだ。はじめて会ったときからずっと。のまわりに生の匂いが漂っていたのではなかった。長年、死の匂いをまといすぎて、もう同化してしまっていたのだ。

「やっぱり、来てくれた。ね、デュエルしよう」

 とってもつよいデッキになったの。そう言って起き上がる彼女が信じられなかった。上体を起こしただけで息が切れていた。

「なぜ、こんなときにデュエルなんか……安静にしていたほうが」

 万丈目の言葉を人さし指でさえぎる。はふるふると首をふった。

「デュエルなんか、じゃない。私にはデュエルがないとだめだった。デュエルがあったから、こうして万丈目とも仲よくなれた」

 途切れ途切れでつむがれるの声はいまにも消えてしまいそうだった。新しくなったのであろうデッキを大切そうに、感謝の祈りをささげるように両手でつつみこむ。こんな時でさえふたりの間をとりもつのはデュエルだった。

「さあ、デュエルしようよ」



5

 ぱちん、ぱちんとカードが触れ合う音がしずかな病室にひびく。デュエルをはじめる前までは焦点の合わない視線をゆらゆらとさせていたも、今ではその目の奥にしずかな闘志をたたえている。

 最初にデュエルしたときと比較すれば、確実に強くなっていた。白魔導士ピケルの効果でのライフが回復する。思えばこのデッキのテーマには、快復したいという彼女の願いがこめられていたのかもしれない。デュエル内のライフに対し、現実でのの命は削られていくばかりだ。
 それでも万丈目は手をぬかない。目の前にいるのが決闘者である以上、へたな同情や手加減は失礼に値する。その本気は彼女にも伝わっているのか、表情はいさましいままににんまりと笑っていた。

 は一手を繰りだすたび、カードを一枚一枚ていねいに触っていた。なにかを確かめるように、うかがうように。万丈目がじっとその様子を見ているのに気が付いたのか、彼女は困ったように白状した。

「じつは、カードの絵ももうあんまり見えてないの。でもみんな大切にしてきたカードだから、触るとどの子なのかなんとなくわかるんだ。はずれてないでしょ?」

 彼女の視界はとっくにしろい靄におおわれているようだった。そんな状態でデュエルをしていたのか、と万丈目はその執念がなんだか異常なものに感じた。

「それになんだか、私はここよってだれかの声がきこえるの。私にカードのことを教えてくれるの」

 のメインフェイズだった。先ほどのドローでようやく手元にきたのか、とうとうこのデッキの主役であるビッグバンガールが姿を現した。
 その瞬間、いびつな黒い煙のようなものがの背後にまとわりついた。カードの精霊だろうか。万丈目が目をこらすと、そこには禍々しいなにかがいた。思わず鼻をつまんだ。こいつだ、と直感した。こいつが病院に巣くう魔物なのだ。そして、の命を食らっているのだ。

「ビッグバンガールはね、私の知っているものによく似ているの。だれかの身体がよくなると、そのツケを払わせるかのように私の身体を蝕んでいく。だけどあのものが嫌いなわけじゃないの。あのものはほんとはとってもやさしいってわかったから。私ひとつの命をつかって、たくさんの命を救ってるの」
「……そんなの、それで! それで自分が犠牲になってもいいのか!」

 抑えきれない感情のままに、声を荒げた。ぴたりとの動きがとまる。こんなときに、こんなことを言って彼女を不安にさせるつもりはなかった。ただどうしても、納得のいかない理不尽さに憤る思いを隠せなかった。
 あれはただの死神だ。けっしての言うようなやさしい存在などではない。現に彼女はいまにもあれに食べられてしまいそうだというのに。それでもは笑った。死の匂いをまとってなお、笑顔をくずさなかった。

「死ぬの、こわいにきまってる。でも私きっと今、世界中のだれよりもしあわせ。万丈目と、デュエルしてるから!」



6

 このデュエルも大詰めだった。万丈目が墓地にそろったおジャマ三体をおジャマンダラで場に特殊召喚する。三体とも攻撃力はゼロだったが、攻撃表示で現れた。いくらのデッキのモンスターたちの攻撃力が低いとはいえ、おジャマに負けるほどではなかった。それにの場にはビッグバンガールを守るために光の護封壁が設置されている。これで攻撃力3000以下のモンスターは攻撃ができずにあった。このままでは次のターンにはせっかくそろえたおジャマもビッグバンガールたちに破壊されてしまう。
 しかし万丈目がそんな簡単に勝たせてくれるはずはないとは息をのんだ。きっとなにか仕掛けてくる。万丈目は不敵な笑みを浮かべた。

「魔法カード、おジャマ・デルタハリケーン!! を発動。お前の場のカードをすべて破壊する!」

 モンスターも魔法も罠も、一緒くたに墓地送りにするカード。の場はまっさらな荒野になりはてた。まさかこんなことになるなんて。ここまでくると、ちょっとした清々しささえある。必殺技をきめた三体が誇らしげな顔をしているように感じて、おかしくて仕方なかった。

「ふ、ふふ。おもしろい。万丈目とのデュエルはすっごくおもしろい」

 あはは、という声とともにぽろりと涙がこぼれた。それがなんの涙かは、わからない。

 このまま、時が止まってしまえばいいのに。

 かたかたと彼女の手が小刻みにふるえはじめた。手の感覚がうしなわれつつあるのだろう。限界だ。万丈目はそっと彼女の腕に手をそえた。折れてしまいそうなほどほそい腕だった。

「おい、もう……」
「まだ。まだ、おわってないよ」

 決着をつけぬままでは、死んでも死にきれない。そう言いたげだった。さいごくらいゆっくりしたらどうだ。そんな気遣いを心のなかにしまいこんで、万丈目はデュエルを再開した。 

「フィールド魔法、おジャマ・カントリーを発動」
「なんにもないです。場がからっぽだぁ」
「……その効果で、雑魚どもの攻守が入れ替わる。今こいつらの攻撃力は1000だ」
「そんなこと言ったらおジャマちゃんたち泣いちゃうよ」
「だまれ。……三体でダイレクトアタックだ」
「……あーあ。まけ、ちゃった」

 言葉とは逆に、はどこか満足げな表情をしていた。墓地におかれたカードたちとデッキをおぼつかない手取りでひとつに束ねる。もうその目にはなにも映っていなかった。

「ね、私のデッキ、もらってくれる?」

 そっと差し出された手のうえには、決闘者の魂がのっていた。
 もう死の匂いはしていなかった。匂いがうすれたのか、万丈目の鼻がなれてしまったのか。たぶん後者なのだろうな、と魔物を見上げながらぼんやりと考えた。魔物はのなかにずぶずぶと入りこんでいる。

「そんなことをしたら、デュエルができなくなるぞ。お前はひとつしかデッキを持っていないのだから」
「ふふ、あっちで新しいデッキくむからいいんだ」
「そんなこと言うな、この俺様が手がけたありがたいデッキだというのに」

 デッキごと、彼女の手をつつみこむ。あたたかいそれになぜか万丈目のほうが安堵をおぼえてしまって、知れず自嘲的な笑みをこぼした。

「けっきょく、万丈目にはかなわなかったなぁ」
「あたりまえだ、俺を誰だと思ってる」

 万丈目に手伝ってもらって、新しいカードも買ってもらって、このざまかぁ。すこし落胆ぎみのに万丈目はさっくりと言いきった。は悔しそうに唇をとがらせた。そうだ、こうしてずっと、とばかみたいな話をしてデュエルができるだけでいいのに。
 あの魔物のすがたは見えなくなった。と完全に同化してしまったのだろう。
 そろそろのまぶたが重くなってきたらしい。こうしていると、たんに眠そうなだけにも見える。

「やっぱデュエルはあたまつかうからつかれるね」
「……そうだな、すこしやすむか?」
「……うん、ちょっとねむいかも」
「おい、。寝坊はするんじゃないぞ。看護師さんがこまるからな」
「しないよ、そんなの。おやすみ、万丈目……」

 ――ピー。
 不条理なわかれの音が耳をつんざく。万丈目はやっぱり病院が嫌いだった。病院に来れば、こんなに苦しい思いをしなければいけないのだから。
 もしかしたらまだ生きてるのではないか。またぱちりと目をあけて「ほら、寝坊なんてしなかったでしょ」と得意げな顔をしてくれるのではないかとあわい期待を捨てきれなかった。心臓が動きをとめた身体はみるみる色をうしなっていく。

 万丈目はもっとはやく押すべきだったナースコールをようやく押した。手元には彼女の魂が残った。

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