※ネームレス
*ユウガ
鼠色の雲が空を覆って、昼だというのに外はぼんやりと薄暗い。連日雨足が強いせいで、ユウガはロクロスに引き篭っている。このままではユウガにカビが生えてしまう。
「そうだ、宇宙にいけば雨もないしお出かけにもなるよ!」
そうしてロクロスの舵をとったところで思い出したが、普段はみんなに任せきりなので操縦の仕方を知らないのだった。ロクロスが傾く。「ぐりゅ!?」と焦燥の声が上がる。宇宙にむけて蛇行しながら急上昇すれば、ユウガが渋々と軌道を修正してくれた。
分厚い雲を突き抜けた先はもちろん雨なんかない晴天で、それすら超えていくと、どこまでも続く闇が広がっていた。すこし寂しくて、ちかちかと瞬く星々の灯火がやさしい空間だ。宇宙小のみんなとよく見ていた景色だった。
しかし、その記憶の中にはユウガだけがいない。あの日、みんなが帰ってきたらユウガの姿がなくて、だれもユウガのことを覚えていなくて、たまらなく怖かった。
「きみが帰ってきてくれて、こうしておなじ景色を見れて、ほんとに嬉しいんだ」
ぼろ、と涙がこぼれた。ロクロス内部には重力があるので、涙の粒は宙に浮くこともなく床を濡らす。
「……宇宙にも雨、あるじゃねえか。おまえは嘘つきだ」ユウガはばつが悪そうに言った。「ユウガが傍にいてくれたらすぐに止むよ」とからかえば「知るか」とそっぽを向かれた。
*ユウオウ
降り止まない雨で暇を持て余したので、ゴーハ幹部である父親の権力を使い、ゴーハ本社を訪れる。忙しなく働く大人たちを後目に社長室のドアを開けた。
いつもなら騒がしい社長室が、今日はしんと静まり返っている。どうやら無駄足になったらしい。くるりと踵を返そうとすれば、書類の山の向こうから「だれだ……アポはとっているのか……」と蚊の鳴くような声がした。慌てて声のする方向に近寄ってみれば、ぐったりと机に突っ伏しているユウオウがいた。激務と身にまとわりつくような湿気にやられて体調を崩しているようだった。
「ボクにはまだ仕事があるんだ」と力なく怒るユウオウを無視して、ソファに座らせる。「こんな状態で仕事したってすすまないんだから、大人しくしなさい」と叱ればようやく口をつぐんだ。手持ち無沙汰になり、どこか落ち着かなさそうにしている。
しかし今日はいいものを持ってきているのだ。幼い頃によく読んだ絵本の新刊である。「昔みたく一緒に読もう」と誘えば、目を剥いて拒絶された。そんなに照れなくてもいいのに。
嫌がるユウオウの隣に腰を下ろして、絵本を開く。そうそう懐かしい、リスの兄弟のお話だ。本に視線を落とさないユウオウのために、ぽつぽつと文字を読み上げていく。
そのうち、ぽすんと肩に重みがのしかかり、小さな寝息が聞こえてきた。たまにはこんな時間も悪くない。
*ユウラン
バケツをひっくり返したような雨に、どうしたものかと考えあぐねる。今朝は梅雨のさなかに訪れた久々の晴天で、雨上がりの空気は思わず深呼吸をしたくなるほど清涼だった。そうして浮かれた心と、こんな天気なら傘はいらないという慢心で外出したらこのざまだ。恐らく濡れずには帰れまい。覚悟を決めて一歩を踏み出そうとすると、横からにゅっと傘が生えてきた。
「ユウラン? どうしてここに」
視線を向けると、大きな番傘を携えたユウランが立っていた。
「きみが出かけたって、女将が教えてくれたんだ。きっと傘を持っていないから迎えにいこうと思って」
常にユウランの傍に控えているドローン――女将は優秀だった。そういえば今朝、そんな他愛もない会話をかわしたような気がする。
手渡された飾り気のないビニール傘は案外大きかった。これを広げて彼の隣を歩けばきっと幅をとるだろう。
傘をひらくこともせず、ユウランの傘のなかに飛び込む。「え」といつもぼんやりとしている彼の瞳が驚きに揺れた。
「この雨のなかじゃ、近寄らないと声が聞こえないから」
ユウランは眉尻を下げて、なにか言いたそうに何度か口を開閉したが、しばらくして聞こえてきたのは大きなため息だった。
「じゃあ、濡れないように、もっとこっちに寄ってね」
その言葉に従って素直に肩を寄せる。「……もう少しためらってよ」拗ねたような声は雨の音にかき消されてしまった。
*ユウカ
サー、と外では細かな雨が降り続けている。この時季のユウカは不機嫌だ。ユニフォームだけしっかりと着込んでベッドに寝転んでいる。ぬかるんだグラウンドでは野球ができないので、フラストレーションが溜まっているようだった。
どうせ野球ができないのなら、こんな日ぐらいおしゃれをしてもいいのに――そこまで思考をめぐらせて、あることを閃いた。
「ユウカ、この前おそろいで買ったワンピース着てよ!」
「え? なによ突然」訝しがるユウカをよそに、彼女のクローゼットを勝手に漁る。ハンガーに掛けられた真っ白なそれは、まだタグが付いたままの状態でビニールに覆われていた。こんなときでもないと着ないのだから、と面倒くさがるユウカを着替えさせた。
混じりけのない純白が眩しくて、目を細める。ワンピースの裾をふわりと遊ばせるユウカはまるで「見てよこれ、てるてる坊主みたいじゃない!?」「みたいじゃない!」まるでウエディングドレスを纏った花嫁のようできれいだった。こんなことなら、おそろいを着てくればよかった。
「六月に結婚する花嫁はしあわせになれるんだって」
ふーんと鼻を鳴らしたユウカが、何を思ったかベッドから剥ぎ取ったシーツをぐるぐると乱雑に巻きつけてくる。
「これで私たち、しあわせになれるかもね」
こんな不格好なドレスを着せられてしあわせになる日がくるなんて、今日まで思いもしなかった。
*ユウジーン
魚が泳ぎ、水がゆらゆらと揺れると、時折プリズムになって壁や床を彩る。外では雷を伴って雨が降り続いているが、けたたましいその音は館内には届いてこない。
時化だというのに「海が、海がオレを呼んでいる!」などと叫んで死に急ぐユウジーンに、せめて気分だけでも味わってもらうべく水族館を訪れた。長い梅雨のせいでしばらく海に行けなかった禁断症状が出ているのだろう。むだに筋肉があるので止めるのに苦労したが、彼が海の藻屑にならずに済んでよかった。
水槽のなかを悠々と泳ぐ魚たちが時間の流れを忘れさせる。まるで外界から切り取られたかのような不思議な空間だった。なるほど浦島太郎が竜宮城に入り浸るわけだ。
ユウジーンはいつも海でこんな時間を過ごしているのだろうか。当の本人はと言えば深海魚コーナーではしゃいでいた。「いつかオレもこいつらと泳いでみたいっツーナ」うん、やめて。
「でもやっぱり、海に行きたいっツーナ……海はもっと、なんでも受け入れてくれるように大きくて、自由なんだ」
そう言ったユウジーンの瞳は水面が反射する光をあつめてきらきらしていた。その目には海がどう見えているのだろう。
「今度さ、海に行くときはいっしょに連れていってよ」
「もちろんだっツーナ! 二人でイルオに乗って海を渡ろうぜ!」
嬉しそうに声を弾ませるユウジーンの申し出は、丁重に断った。
*ユウロ
ぽつぽつと窓に当たる雨の音にまぎれて、外からすこし独特なエンジン音が聞こえる。聞き馴染みのある音だけに、嫌な予感がした。段々と近づいてくるエンジン音は遠ざかっていくこともなく、家の前でぴたりと止まる。間を置かずにインターホンが鳴り、カメラに写り込んだ姿を確認して、しぶしぶと戸を開けた。
「これからライディング・デュエルでもどうかと思ってな、誘いにきたんだ」
「こんな天気だと風邪引くって!」
ユウロはぼたぼたと髪から伝う雫を気にも留めていない。どうやらライディングスーツは撥水性のようで、悲惨な事態になっているのは首から上だけだった。その頭にタオルをかぶせて力任せに拭いてやれば、ユウロは大人しくされるがままになっていた。
あらかた水分を拭きとった頃には雨が上がっていた。晴れたならとまたマシンに乗り込もうとするユウロを散歩に誘う。たまには自分の足で歩かせてやらなければいけない。
先陣を切っていつもの散歩コースを進むと、紫陽花が道端を縁取るようにに顔をもたげて咲いていた。青紫の花弁についた雨粒が差し込んだ陽の光に反射すると、きらきらと星のように輝いて、いつかロクロスから見た宇宙によく似ていた。
「きれいだな」ユウロが足を止めて見入る。
「ほら、スピードの中では見れない景色でしょ」
意地悪く挑発すると、ユウロはなぜか満足そうに笑っていた。もうすぐ梅雨が明ける。
**
梅雨明けの宣言がニュースで流れる。外に出ると突き抜けるよう青空が広がっていて、お出かけ日和ならぬ決闘日和であった。足取り軽くデュエルディスクを持ってみんなと合流したところで、頭にパタと水滴があたった。雲はまばらに薄くかかっているだけなのに、ぱらぱらと雫が落ちてくる。
「チッ、降ってきた」「天気雨さ、すぐやむよ」やっと思いきりデュエルができる、と内心楽しみにしていたらしいユウガをユウランがなだめる。これ以上強くなる気配もないし、きっと大丈夫だろう。
ふと仰げば遠くの空にうっすらと架かる橋が見えて、声を上げようとしたら「あ、虹だ」と抑揚のないユウオウの声に先を越された。もうすこし感動しろ。「なんだかオレたちの色のようだな」そう、そうなのだ。ユウロえらい。
赤、橙、黃、緑、青、紫は彼らを想起させる色だ。虹を見つけると嬉しくなるのはそのせいもあるのだろう。一色余るだろうという心配は不要だ。世界では六色説が多数らしい。「なに言ってんの。アンタが藍色よ」ぽんとユウカの手が肩に乗る。みんなの視線がこちらを向いた。なんだか認められているような気になって、自然と顔がほころぶ。
「うれしい、大好きな色。宇宙に似た、みんなとの思い出がつまった色だから」
そう否定すれば、みんなどことなく目元がゆるんだ気がした。
「藍色って海の色じゃないっツーナ?」ユウジーンの疑問は黙殺された。