「最近、いい顔するようになったよね」

 エスパー・ロビンの撮影が終わり、お情け程度に施された風也のメイクが落とされる。風也にとってそれは撮影よりも緊張する時間だった。自分の顔をなにか別の生き物が滑り抜けていくような、居心地の悪い感覚。そんな感覚もたかが数分で終わるのだが、意識すればするほどその時間は長く感じられた。
 もちろんその感覚が緊張に繋がるわけではない。薄く目を開け、狭い視界で鏡に映るその人を見た。手際よくメイクを落としていった彼女は、最後に風也の髪の毛を整えた。彼女こそが風也が緊張する、最たる原因である。

 風也は先程投げかけられた言葉を理解できずにいた。お疲れ様、と声をかけられると同時に風也は椅子に座ったままで彼女の方へ体を向けた。

さん。さっきの、どういう意味ですか」
「なにが?」

 声は風也へ向けられていたが、その視線はたくさんのメイク道具を収納する箱に釘付けだった。そのことを風也は愉快には思わなかったけれど、口にはしなかった。不満を述べたら嫌われそうな気がして怖かったのだ。

「いい顔がどうとか」
「ああ、そう。この頃吹っ切れたような、爽やかな顔してるから」

 よく見ている、と風也は素直に感心した。人の顔の変化にすぐ気がつくのは彼女の職業柄だろうか。

 は風也の母親が手配した、彼専属のメイクアップアーティストである。毎日のように顔を合わせるためか風也はをとても好いていた。がその朗らかな性格の持ち主だからか、気兼ねなく話せる唯一の理解者になっていた。

 風也はの言葉に、目を細めて嬉しそうに話した。

「ありのままの僕でいいって、言ってくれた人がいるんです」
「いい友達を見つけたんだね」

 気づくと、は風也をまっすぐ見据えながら柔らかい笑みを携えていた。先程までこちらを見ていないことが面白くなかったが、いざ見つめられると風也の心臓は驚くほどに跳ねた。意識をしすぎだというのは分かっていた。いくらが若いとはいえ、風也とは歳が離れすぎている。恋愛の対象として見られることはないことくらい覚悟していた。だが、それも構わなくなるほどに風也の幼い恋心は秘めやかに育っていた。

「なんだか妬けちゃうかも」
「え?」

 の言葉に風也が聞き返すことは多かった。一つの言葉からの秘めた真意を汲み取るのは、あまりにも困難であるからだ。

「だって私、風也くんは私の前ではありのままでいてくれたものだと思ってたから」

 とんだ思い上がりだったみたい、とは眉を下げて微笑んだ。
 風也は複雑な気持ちに陥った。が寂しそうな顔をしたのは嫌だった。しかし、それ以上に自分のことを想っていてくれたという事実に喜びを覚えていた。

 風也がの前でありのままの自分を曝していないわけではない。むしろ、他者の前と比べれば自然に振舞えている方だった。しかしすべてを出せているわけでもなかった。すべての感情の捌け口があれば、風也がロビンとなり騒動を起こすこともなかっただろう。すべてを晒すということは、に好意を告げることにもなる。はっきりと拒絶されることは風也にとって耐え難い恐怖だった。

さんはロビンのこと、好き?」
「うん」
「……ありのままの僕は好きになってくれる?」

 母親と和解したとはいえ、風也はいまだロビンの影を恐れていた。風也の突然の問いに、はしばし戸惑う。その反応が拒絶として捉えられ、風也に鋭く突き刺さる。

「風也くんのことを嫌ってるように見えてた? 私はとっくに好きだったよ」

 明るいの笑みで、風也に突き刺さった棘は抜け落ちた。

 は再び視線を手元のメイク箱に戻し、箱の中を整理していく。色とりどりの小瓶が行儀よく狭い箱の中に陳列している。風也がに近寄ると、その振動で数瓶がころりと傾いた。あ、とが傾いた瓶を直そうと手を伸ばしたが、それは風也に絡め取られてしまった。
 と並ぶと当然風也の背丈の方が幾分か低い。しかし今の風也は気迫に満ちていて、いつもより大きく見えた。

「じゃあさん、もうちょっと待っててください」
「え、なに? どうしたの」
「僕もさんのこと好きだから」

 風也の妖艶な笑みには閉口した。どう言葉を返すべきなのか、見当がつかなかったのだ。

「虫も掴めるようになって、ロビンみたいに強くなりますから」
「……風也くん、そんなに無理しなくてもいいんだよ」

 風也の手に力がこもる。
の言葉の裏に隠された拒絶に、気が昂ぶっている風也は気づかずにいた。どこで言い方を間違えたのだろうと、は握り締められて赤くなった手を見ながらぼんやりと考えていた。

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