※最終回後


 Dパッドに映し出される教材へ目を向けるも、頭には何も入ってこない。高校受験を控えたこの年に、こんなことではよろしくないと焦燥感ばかりが募る。
 そもそも私が勉強に集中できなくなったのには理由があった。それはクラスメートであるミザエル君の存在だ。

 ミザエル君は気がついたらこの教室にいたのだ。そりゃクラスメートなのだからいるのは当たり前だろう、と言われたらそれまでである。しかし私にはどうしても、春に彼の顔を見た記憶がないのだ。彼はいつの間にかクラスメートとなっていて、それがさも当然であるかのように振る舞っていた。
 さすがの私も春からこのクラスにいて、今さら級友の顔を覚えていないほど薄情ではない。だからこそこの時季になって見覚えがないクラスメートに不信感を抱いたのだ。このクラスに転校生がくるなんて話は持ち上がったこともない。では、ミザエル君はいつからこのクラスにいたのだろう。
 私以外の誰もこの違和感に気がついていない。もしかしたらすべては私の思い過ごしに過ぎないのかもしれない。だが胸に蔓延る疑念を解決するためにしばらく彼を観察してみることにした。

 まず、ミザエル君にはあまり友達がいない。私たちクラスメートが彼に話しかけたとしても返事が返ってくることはない。それでもめげずに話を続ければ席を立たれてしまうのだ。そんなことを繰り返していたため、好き好んでミザエル君に話しかける輩はこのクラスにはいなくなった。
 彼は顔立ちが整っているから狙っている女子も多いだろうに。自分自身で機会を潰すミザエル君と、恋の蕾を開かせることのできない少女たちに向けて私は静かに合掌した。

 そんな人付き合いを避けるミザエル君だが、冒頭で述べたように、完全に友達がいないわけではなかった。私が認識している限りでは、彼と自然に会話できる生徒がたった一人だけいる。それは隣のクラスのドルベという少年だった。
 正直に言わせてもらうと、私は彼の存在も疑っている。彼もミザエル君と同様に突然私たちの世界に現れ、居場所をこさえた一人なのではないか、と。疑ってはいるが今回、彼は観察の対象外である。単に私と一切関わりがなかっただけの一般生徒である可能性の方が高いからだ。

 こんな風に私は数日の間、ミザエル君を観察しては彼のことばかり考えていた。彼より後方の席だったため特に怪しまれることなく観察は続けられた。よく視線を感じて気取られるという話を聞くが、あれは本当なのだろうか。ミザエル君をじいっと見つめたところで、彼が振り返ることはなかった。
 そう、それは油断であった。
 彼は気づいていなかったわけではなく、気づいたうえであえて私を無視していたのだ。それはそれで腹立たしいことである。しかし今は冷たい瞳で私を見下ろすミザエル君になんと言い訳しようかで頭がいっぱいだった。

「貴様、私に何か用があるのか」

 どうやらここ数日感じていた視線にとうとう我慢できなくなったようだ。ピリピリと張りつめた空気が、教室から私の机周りの空間を隔絶した。改めて近くで見ると、やっぱり彼は端正な顔つきだ。それ故に怒気を含んだその表情はいっそう私の背筋を凍らせる。
 そんな、たまたまだよ。ミザエル君は私より前の席だから自然と視界に入っちゃうんだよ。
 そう言ってにこにこと笑みを貼りつけるが、彼の眉間には皺が寄ったままだ。さすがにこんな理由では納得してくれないらしい。

「……なぜ私の名前を知っている」

 え、そこ疑問に思うところじゃないでしょ。
 名前なんてクラスメートなんだから知っていて当然のはずだ。そう述べると、ミザエル君は怪訝そうな顔をした。

「私はお前の名前など知らない」

 そんなことだろうとは思っていたが、直接言われるとなかなか辛いものがある。
 思い切って自己紹介をすると、興味はないと一蹴された。知らないというよりは知る気がないのだと訂正した方が正しそうだ。身を翻し立ち去っていくミザエル君の後ろ姿を見て、なんとなく気分が落ち込んだ。

 ミザエル君は休み時間になるとよく自分のデッキを広げている。友達がほとんどいないから一人でできることをしているのだ。この学園にはデュエルを楽しむ生徒が多く、むしろデュエルができない生徒の方が少ないくらいだ。
 ふと彼をデュエルに誘ってみようかと思った。せっかく今日初めてミザエル君と会話することができたのだ。もう少しお近づきになりたいという欲が芽生える。私にとって彼はいわば未知のもの、これまで出会ったことのない人間である。そういったものに対して好奇心を抱いてしまうのは人の性ではないだろうか。

 いそいそと自分のデッキをカバンから取り出し、彼に近づく。後ろから話しかけたというのにミザエル君は眉ひとつ動かさずに短い返事をしてくれた。彼の背中には目でもついているのか。相変わらず私にはまるで興味がないようで、目線はデッキから動かさない。
 なんとか話を膨らませようと、なんのデッキを使っているのか尋ねてみた。するとどうだろう。ミザエル君の海色の瞳はまるで光を反射させる水面のようにきらきらと輝き始めた。見たことのない彼の新たな一面に思わずドキッとした。

「ふふ、貴様に銀河眼の時空竜の素晴らしさを説いてやる」

 そう言うと、彼は本当につらつらとフェイバリットカードについて説明してくれた。彼は意外と扱いやすいが、それ以上に面倒くさいタイプのようだ。ふんふんと適当な相槌を打って話を聞いた後、一つの提案をしてみた。私とデュエルしない? と。
 少しだけ見開かれた瞳に私が映し出される。それもすぐに逸らされて、見下すように嘲笑われた。

「私の生涯のライバルは天城カイトただ一人だ」

 ……誰。というかライバルになるつもりなど端からないのだけど。
 やっぱり、彼と仲良くなるのは至難の業らしい。


 ミザエル君と初めて話した日から数日が経った。あれから一度も話しかけられたことはなければ、話しかけることもしなかった。話しかけようとは思うのだが、目が合うたびに睨みつけられるのでつい閉口してしまう。彼が不愛想なのはいつものこととはいえ、すこし悲しかった。
 それにしても最近よく目が合うようになった気がする。特に授業の合間の休み時間、観察しようと目を向ければ必ずミザエル君もこちらを見ているのだ。もちろん睨まれた後すぐに視線を外されてしまうのだが。

「お前がか」

 誰だ、人をフルネームで呼び止める奴は。このへんに、しかもこんな登校時間真っ只中に不審者が現れるなんて聞いてないぞ。
 聞き覚えのない声に身構えて振り返ると、そこには同じ色の制服に身を包む男子生徒がいた。ミザエル君の友人であるドルベ君だ。彼とは一切面識がなかったはずだが、なぜこちらの名前を知っているのだろう。
 不審に思っていると、眼鏡越しにドルベ君がこちらを見ていた。レンズの先にあるダークグレーの目はなんの感情も宿していなかった。

「最近ミザエルが気にしている人間がどういう人物か気になっていたんだ。まあ、仲良くしてやってくれ」

 仲良くしてやってくれって、あんたはミザエル君のお父さんかよ。
 言いたいことだけを言ってドルベ君はさっさと学校への道を進んでいった。類は友を呼ぶとはこのことだ。変わり者の友達はやはり変わり者だった。なんてことを考えている頃、校舎では予鈴が鳴り響いていた。

 ドルベ君のお陰で遅刻になるところであった。ぜえぜえと息を切らしながら教室に入ると、幸い先生はまだ来ていなかったようだ。生徒たちはがやがやと会話を弾ませている。
 忍ぶように自分の席を目指すと、なんとなく誰かに見られている気がして控えめに顔を上げる。ああ、やっぱりミザエル君か。また睨まれるのだろうなといつものパターンを予想した。

「遅刻寸前だな、

 あんたの友達さえ声をかけてこなければ、こんなことにはならなかったよ。
 そう言いかけて言葉を呑んだ。いつも吊り上げられているミザエル君の目元が、愉快そうに緩んでいたせいだ。
 笑顔の彼にどう接すればいいのか分からなくて。それよりも声の出し方すら忘れてしまうほど頭は混乱してしまって。教室に入ってきた担任に注意されるまで、彼の席の前で立ち往生するはめになった。
 そういえば、私の名前おぼえてくれたんだ。なんだか一気にミザエル君と仲良くなれそうな気さえしてきた。私がんばるよ、ドルベ君! 担任の話を聞くのもそこそこに、今日は彼にいつ話しかけようかと考えていた。

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