リクエスト作品:神藤さまありがとうございました!


1

 バリアンの脅威から解放された天城ハルトはスクールに通い始めた。兄や父からは過剰に心配されたが、そんな心配も杞憂におわり、問題なくはじめての学校生活というものを満喫していた。

 本を読んで学ぶという体験は思った以上に自分に遭っているのだなと気づいたのは最近になってからである。これまでは自然から直接学んだり父や兄の研究を目の前で見て覚えることが多かったが、存外文章の汲み取り方や心情の読み取りの勘をつけていくのも面白かった。しかし理科や算数はどうにも退屈だった。生物や植物のことならじかに本物を見たほうが早いし記憶に残る。科学や数学に至っては家族のおかげでスクールのレベルをすでに凌駕していた。


 そんな生活に慣れはじめた頃、一枚のプリントが手渡された。授業参観のお知らせ。大きくゴシック体で書かれた文字にハルトは目を瞬かせた。

「ハルトくんはきっとはじめてだよね。ご家族の方に見せてね」

 先生は丁寧に説明をつづけた。授業参観とはどうやら学童の家族がその授業風景をわざわざ見にくることらしい。緊張するよね、と言った先生のほうが随分と緊張しているように思えた。

 先生はハルトのクラスの担任である。まだフレッシュさが残るわりにはしっかりと計算された丁寧な授業をする人というのがハルトの評価である。隣のクラスの先生はしゃべり方がきつくて好きじゃない。さらに隣のクラスの先生は熱心ではあるがいまいち要領を得ない物言いをするから困る。このクラスに編入できたのは幸運であった。

 ハルトはごく稀に放課後や休み時間をつかって先生からデュエルを教わっていた。彼女がデュエルをやっているとわかったのは偶然であった。どうしても自力では調べられなかった課題を教えてもらおうと職員室を訪れた際、彼女のデスクの上に小綺麗なデッキケースが置いてあったのだ。

「先生もデュエルするの?」

 なんとなしに尋ねてみると、先生はうぅんと小さくうなった。そしてすこし照れくさそうに頬をかいた。

「好きなの、カードが。デュエルはあんまり得意じゃないんだけどね」

 ハルトくんもデュエルするの? と聞かれ、ハルトは首を振った。思えば兄やその友人たちがデュエルしている背中を見ているばかりで、自分がするなんて考えてもみなかった。まして彼らが世界や命をかけて行った儀式だ。とうてい自分には踏み込めない領域なのだろうと勝手に線引きをしていたように思える。
 しかし、本来デュエルとは娯楽や競技としても楽しまれているものだ。もしかして、自分にもできるのだろうか。

 じい、と小綺麗なそれを見ていると、先生はなにか思いついたように引き出しのなかを漁った。なかから出てきたのは青いデッキケースだった。はい、とそれを握りこまされる。ハルトがこれをどうしたものかと考えあぐねていると、先生はハルトの手ごとそれを押しつけてきた。

「私、新しいデッキを組んだの。お古で申し訳ないんだけど、それはハルトくんにあげるね」

 他の子にはないしょだよ。そう言って先生は人さし指を唇にあてた。編入してきて間もない生徒への配慮だったのだろうが、それでもハルトにとっては嬉しかった。


 ハルトが授業参観のことを伝えると、まず反応したのは兄のカイトだった。普通は両親にあたるものが来るのだということを何度伝えても、カイトは自分が行くと頑として譲らなかった。フェイカーの顔色を伺うと、すでに諦めた様子で笑っていた。あまり目立つようなことはしたくないハルトにとってはすこし迷惑でもあったが、楽しみにしている兄に水をさすのは野暮なような気がしてとめることはしなかった。

「ハルト、学校は楽しいか?」

 カイトが穏やかに聞いてくる。考えてみれば自分がいまこうしてスクールで勉強できているのもひとえに兄が頑張ってくれたからなのだ。本人はそんなこと考えてもいないだろうが、ハルトにしてみれば感謝でいっぱいだった。

「兄さんのおかげで楽しいよ」
「え?」

 なぜそこで自分の名がでたのか心底わからないという顔をされた。頭はいいのにこういうところで鈍感な人だ。それがなんだかおかしくてハルトがくすくすと笑うと、カイトもやさしく微笑んだ。参観日がきたら先生にこの人が自分の尊敬する兄だと紹介したいなぁとぼんやり思った。



2

 参観日当日、ハルトは自分の席に着いてそわそわと教科書と教室のドアに視線をさまよわせていた。緊張するね、と声をかけてきた先生の気持ちがようやくわかった。兄が来ることへの期待と気恥ずかしさで今日は授業がまともに受けられるか不安でさえあった。

 続々と保護者が教室に入ってくる。予想どおり着飾った母親やそれに腕を引かれてくる父親ばかりで、そこに兄弟の姿はない。まあ普通はそうだろうと思うものの、兄が浮いてしまわないかが気がかりであった。
 ふと教室の雰囲気がゆらぐ。その中心にいたのは、やはりと言うべきか兄のカイトであった。スーツに身を包んだ彼はいっそう引き締まっていて、いつもより大人びて見えた。

「誰のお兄さんだろ」
「かっこいいぃ……」

 聞こえてくる囁きにハルトはなぜか誇らしくなった。さすがにカイトくらい若々しいと父親とは思われないらしい。本人は自分がハルトの父親代わりだとすら思っていそうだが、それとこれとは別だ。カイトがハルトを見つけると、ちいさく手を振ってきた。ハルトもちいさく返す。

「あ、ハルトくんのお兄さんなんだね」

 そうだよ、と返事は心の中にとどめておいた。

「はい、みんな静かにしてね。今日はお母さんたちが見てるけど、いつもどおりに授業するからね」

 そう言いながら教室に入ってきた先生の顔は強ばっていた。教科書をもつ指先は白く変色している。ああ、先生もやっぱり緊張しているんだ。それがわかれば自分の気がかるくなった感じがした。
 教壇に立ちその顔を上げると、先生の動きがぴたりととまった。紅潮した頬はたんに緊張しているだけとは考えにくかった。その視線の先にはなにがあるんだろう。気になって追ってみれば、そこにはよく知る人物がいた。――兄さんだ。カイトも先生を見つめてぽかんと口をあけている。そんな兄の姿を見るのははじめてで、ハルトはどういうことかと思わず腕を組んだ。

先生、キンチョーして全然いつもどおりじゃないじゃん!」

 クラスのお調子者が指をさして笑う。それを後ろにいた母親が声を荒げてコラッと叱ろうとするも、他の子どもたちや父兄の笑い声でかき消されていた。
 先生は謝りながらわたわたと授業の準備をする。恥ずかしさからなのか顔の赤みは増し、耳まで染まっていた。ただ、カイトだけは静かに彼女を見ていた。


 ふたりのあれはなんだったのだろう。教科書をめくりながらもそんなことばかり気になって仕方がなかった。先生がチョークを走らせる。静かな教室にカツ、カツ、と響いた。

 なんで先生は兄さんを見て顔を赤くしたんだろう。顔が赤くなるってどんなときだっけ。恥ずかしいとき、興奮しているとき、照れたとき……先生は兄さんを見て照れたのだろうか。でもなんでそんなことになったのだろう。
 ふと先ほどのクラスメートの言葉を思いだす。「かっこいいぃ……」もしかして先生も同じことを思って顔を赤くしたのだろうか。カイトのことを好きになってしまった、とか。それで兄さんも先生のこと見てたし、もしかすると。

「じゃあここの文章をハルトくんに読んでもらおうかな」
「は、はい」

 考えふけっているところにピシャリと冷水をかけられたかのようだった。突然のことだったので声が上ずってしまった。後ろからそそがれる兄の視線を意識しないように努めながらハルトはなんとかその場を乗りきった。



3

「先生に挨拶しにいこう」

 授業参観も無事におわり、帰宅しようかというところでカイトが言った。ハルトは大げさに驚いてみせた。授業中ずっとふたりのことを考えていたのだ。余計な勘ぐりを入れてしまいそうにかる。

「……僕、いないほうがいい?」

 暗に先生とふたりきりになりたいのでは、と気をきかせてみたのだが、カイトは強く否定した。どうやら編入して間もないハルトのことをよろしく頼むよう挨拶するだけだというのだ。まあ兄はそうだとしてもあのとき乙女のように恥じらっていた先生のほうにはなにかあるだろうと、ハルトは好奇心に突き動かされるままカイトについていった。


 ハルトの期待もよそに、話はずいぶんと事務的なものであった。普段使われていない空き教室にはたった三人しかいない。人の少ない教室というのは新鮮で、なにかちがう雰囲気がただよっていた。
 ハルトはの様子を窺う。平静を装っているつもりなのだろうがどうにも落ち着きがないようだった。これはやはり自分の推理が正しいのではないか、とわくわくする。会話が途絶えたところで、ふたりは控えめに見つめ合った。静謐な空気が流れる。最初に口を開いたのはカイトのほうだった。

「……俺のほうだけかもしれないんですが、はじめて目が合ったときに、運命を感じてしまって」

 ――まさか、ほんとうにきた。
 唐突な会話の切り口に聞いているこちらの心臓がどきりと跳ねる。ここにいてもいいのか、それとも去ったほうがいいのか。しかしこれから先の展開を見逃したくない、といった葛藤がハルトのなかに生まれる。それにしてもいきなり運命というワードを用いるとは兄もとんだロマンチストだ。意外な一面に感心しながら、先生の反応を待つ。先生は今にも身を乗りだしそうな勢いでその話に食いついた。

「私のほうこそ、ハルトくんのお兄さんを一目見てビビっと感じてしまったんです!」
「ということは先生も」
「もちろんです」

 トントン拍子で畳み掛ける展開にハルトは思わず息を飲んだ。たしかに兄と先生ならお似合いのパートナーになれるかもしれない。どちらも聡明な人だ。彼らがたがいに惹きつけられたのもきっと神の思し召しというものなのだろう。うんうんとハルトが納得したところで、ふたりは風を切るように懐からデッキを取り出し、突きつけ合った。

「やはりドラゴン使いは引かれ合う運命!」
「ぜひデュエルを!」
「……えぇ?」

 思わず怪訝な声がでてしまったのも致し方ないことであった。ふたりの言葉を聞くかぎり、どうやら一目見た瞬間たがいにドラゴン使いどうしであることを感じとっていたらしい。先生がカイトを見て頬を赤らめていたのも、ドラゴン使いと意に介さぬところで出会ったために気が高揚していたからだという。なんだそれ。
 そういえば先生はハルトにデュエルを教えるとき、いつも新しく組んだデッキ――ヴェルズデッキを使っていた。ヴェルズ・オピオンに何度辛酸をなめさせられたことかわからない。

 ドラゴン話に盛り上がるふたりをよそに、ハルトは静かに思った。ふたりともエースモンスターがドラゴンなだけで、ドラゴンデッキじゃないくせに。

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