☆ズァーク

 幼い頃に両親を亡くしてから、私は弟と慎ましくも幸せな日常をすごしていた。今までどおりの暮らしができなくなって大変なことも多かったけれど、弟――ズァークの笑顔が見れればそれだけで十分だった。

 妙齢になったズァークが自分も家計を助けると言って聞かず、とうとうそれを許した。すっかり親の気分となっていた私としては、自分ができなかったこともあり、彼には普通の少年とおなじように学んで遊んで育ってほしかった。しかしそれはエゴだ。彼の意思をないがしろにしてよい理由にはならない。
 ズァークはカードの精霊の声が聞こえるようで、デュエルの才覚を現しプロ決闘者の道を進んだ。初めの頃は私もデッキの調整相手をしていたが、すぐにお役御免となってしまった。

「姉貴、そういえば知ってる? 最近、リアルソリッドビジョンシステムってのが新しく開発されたんだって。俺もこの前少しだけ試させてもらったんだけど、本当にすごかった!」

 そうズァークは瞳を輝かせて、興奮気味にまくしたててきた。そういった話に疎い私ですらテレビでちらと聞きかじったことがある。なんでも科学者の赤馬零王が新たに開発した、質量を持ったソリッドビジョンとのことらしい。正直よく分からない話だが、ズァークがこれほど高ぶっているのだから、きっとデュエル界に巻き起こされた新風なのだろう。

「あれを使ってデュエルすると、いつもより精霊たちの声がはっきりと聞こえるんだ……うん。俺、きっともっと強くなれると思う。まあ、そのときは対戦相手のレイって子に負けちゃったけどさ」

 決闘者になってから彼はよく話すようになった。きっとそれほどまでにデュエルが好きなのだ。天職とはまさにこのことだ。
 ズァークはやさしい手つきでデッキを一撫でした。

「俺はデュエルで姉貴を、みんなを笑顔にするよ。こいつらと一緒に」
「もう私は笑ってるけど。そんなに仏頂面かな」
「そうじゃない! ……その、姉貴にはこれまでいろいろと苦労かけてきたし」

 ごにょごにょと口をすぼめながらズァークは言葉を濁した。えーなになに。そんなにお姉ちゃん孝行がしたいのか。そういってからかうと「もう知らねえ」と顔を背けられてしまった。すこしやりすぎてしまったようだ。

「期待してるよ、ズァーク」

 とん、と背中を押すと、ぶっきら棒な返事が小さく聞こえた。


 件のリアルソリッドビジョンシステムは急速に普及していった。プロデュエルにもそれは正式に採用され、より臨場感のあるデュエルに界隈はさらなる盛り上がりを見せていた。
 ニュースで時たまズァークの名前を見つけるようになった。精霊の声がよく聞こえるようになったというのはどうやら本当らしい。めきめきと実力がついて、まるでサーカス団のパフォーマーのように質量をもったモンスターに乗るものだから、人気に火がついたようだ。私にはその能力がかけらもないため、弟が遠くにいったようですこし寂しく感じ――

「姉貴。今日のご飯なに? 俺からあげがいいな」
「そういうリクエストは午前十時でしめきってます」

 ――ることはなかった。どんなに有名になろうが、弟の帰ってくる場所は私たちの家だ。それを知っているから、お互い安心して働きに出れるのだ。
 でももし、家族が離れて暮らすことになったらどうなるだろう。いずれそういうときがくるのは理解しているが、今はまだ想像しづらい。

「結婚、とかかな」

 あいにくと私にはまだそういう流れが一切ときていない。だがもしズァークがどこかでいい人を見つけてきたら、もちろん家を出ていってしまう。さすがに、まだ先の話であってほしいと願う自分は弟離れができていないのだろうか。
 茶碗にご飯を盛りつけてから食卓につくと、ズァークが不機嫌そうにこちらを見ていた。

「なに。いきなりからあげとか無理なんだから我慢してよ」
「からあげはいいんだよ。それより……結婚、すんの?」
「誰が?」
「この会話の流れで姉貴以外に誰がいるんだよ」
「しないけど、なんで」
「今! 独り言! 言ってただろ! しないならいい!」

 叫ぶように言いきると、ズァークは夕飯をがつがつと食べ尽くし、自室にこもってしまった。いったいなにを怒っているんだか。「片付けは俺がやるから、皿は水につけておいて」すれ違いざまにかけられた言葉に、明日はからあげでも作ってあげようかな、なんて思う自分がいた。



★★
 
 ズァークは浮かない顔をして帰ってきた。最近は家でもずっとこんな調子だった。心配したが声をかけても、「大丈夫」の一点張りで聞く耳をもたない。
 一緒に暮らしていて、弟のことを知らないほどは鈍感ではなかった。彼の身になにがあったか、彼の周囲でなにが起きているか。すべてを知っていた。だからこそ自分を頼ろうとしないズァークが、なにもしてやれない自分がもどかしかった。

 リアルソリッドビジョンシステムで派手なパフォーマンスをしていたズァークは、故意ではないにしろ、相手に重傷を負わせる事故を起こしてしまった。その日からすべての歯車が噛み合わなくなっていった。
 それでもズァークは償うように、贖うように、本来目標としていた『人を笑顔にさせるデュエル』を続けようとした。そんなささやかな望みも、土足で踏みにじられた。観衆は彼に強く激しく興奮する暴力性を彼と彼のデュエルに求めた。

「声が聞こえるんだ。俺を煽る声が。
 感じるんだ。モンスターたちの怒りを」

 醒めない悪夢がズァークの心を蝕んでいった。どんなにが声をかけても、耳の奥にひびく別の声にかき消されてしまった。
 そして彼につけられたのは、悪魔という呼称だった。


 なにもできない自分がもどかしくて、はデュエル場を訪れた。実のところ、彼女がデュエル場にくるのはこれが初めてのことだった。ズァークには「姉貴がいると思うと緊張するから、まだこないで」と止められていたのだ。最近では報道されることもあって媒体ごしに見ることはあっても、やはり現場で見ないとわからないことも多い。
 ここに彼女の弟を苦しめているものがある。もう一度、姉弟ふたり穏やかに過ごす日々をとり戻したい。「最近のデュエルは危険だぞ」というズァークの制止も聞かず、は観戦席についた。

 四方から感じる熱気にあてられる。
 デュエルが始まると観客たちは息を荒くし爛々と目を血走らせる。ズァークのデュエルはまだ先だ。だというのに、観客たちの狂騒は加熱していく。
 思わず顔をそむけたくなるような決闘者たちの攻防に、これだけの人間が熱狂している。

「いいぞ! もっと激しくやれ!」
「手加減してるのか! 生ぬるいぞ!」

 あの子も普段からこんな言葉にこんな狂気にさらされているのか。そんな悩みをひとりで抱えていたのか。
 なによりなにもしてやれなかった今までの自分に腹が立った。
 もう、こんなところでデュエルしないように言わなければ――

「おい、危ないぞ!」

 怒声にも似た警告に顔を上げると、こちらに向かって飛んでくる決闘者と質量をもった巨大なモンスターが眼前に広がっていた。



★★★

 デュエル会場の控室でズァークは動揺を隠せずにいた。今日は姉が自分のデュエルを見にくる日だった。それも初めて。自分のあんな姿を見たら、姉はなんと言うだろうか。見損なうだろうか。拒絶されるだろうか。すべてが怖かった。時計の針が止まってしまえばいいのにとすら思った。

 どれだけ耳をふさいでも聞こえてくる声がズァークの本心を塗りつぶしていく。
 憎め。滅ぼせ。
 最近はその声が自分のものであるとさえ錯覚しはじめていた。デュエルをしているときの自分はもう自分ではなかった。モンスターたちの感情と自分の心が同化していくようだった。望まれるならば望まれた分だけあいつらに返してやろう。そういった思いが日に日に強くなっていった。

 大丈夫?

 そう心配そうに気をつかってくるの顔が浮かんだときだけ、ズァークは本来の自分を思い出せた。そうだ。姉貴――

 控室のモニターからノイズが流れる。モニターはこの会場のデュエルフィールドを中継していた。どうやら激化したデュエルの過程で、客席にも被害が出たらしい。このところは特段めずらしい話でもないが、今日という日に限ってはわけが違った。
 背筋を悪寒が走っていく。冷や汗がつたう。嫌な予感だった。
 居ても立ってもいられず、ズァークは控室を飛び出した。


 会場につくと、デュエル後の熱気冷めやらぬといった様子で観客席はざわめいていた。その一角は無残にも崩壊しており、しかしそこ以外の席の者は気にとめた素振りも見せない。すでにここでは異常が常になっていた。

 を探すにはあまりにも広すぎる会場だった。会場で控えていた救急班がすでに担架で負傷者を運び出している。その後をついていくと、救急車が到着するのを待っている集団のなかに、その姿を見つけた。

 応急処置は施されていたが、すっかり生気を失っているにズァークは絶望した。喉につかえた言葉を無理やり吐き出す。「姉貴!」そう声をかけると、ぴくりと小指が動いた。
 だるそうに開かれたまぶた。視線だけがかち合う。

「ズァーク、どうしてここに……」
「ごめん、俺があんなこと起こさなければ……俺さえいなければ、こんなことにならなかったのに!」

 これは報いだ。あの事故を起こしてしまったこと。観衆の欲と精霊の声で我をなくしてしまったことへの。
 はなにか言いたげに口を開く。か細い声に耳を近づけると、震えた吐息がかかった。

 みんな、あなたのことを悪魔と呼ぶけれど……どんなことがあっても、私はあなたの家族だから。
 どうか、幸せになって。ズァーク。愛してる。


「ズァークさん、こんなところに! もうすぐデュエルの時間です、戻ってください! みんなあなたのデュエルを待っているんです!」

 姉が運ばれた救急車へ同伴しようとすると、大会スタッフに強く止められた。乱暴に引き剥がされる。伸ばした腕は空をきった。

 ズァークがの死を知ったのは、大会終了後に鳴った病院からの一本の電話だった。


 それからのズァークのデュエルは激化を極めていた。人々の欲は過熱し、それに呼応するように精霊の怒りも増していった。彼はただその渦に身を委ねていた。を失った空っぽの自分を満たすなにかは、なんでもよかったのだ。

 おまえたちの求めるデュエルを魅せてやろう。おまえたちの求める怒りを体現してやろう。

「どうか、――」

 あのとき姉はなんと言っていたのだろう。思い出せないのか、聞こえなかったのか、今ではもうわからない。
 今はただ、姉を奪った人間たちが、この社会が、すべてが、憎い。覇王龍の声が聞こえる。この世界を滅ぼせと。


 ちいさな祈りはだれにも掬われずに静かに消えた。


 赤馬レイとズァークの対峙により、世界は四つの次元に分断された。自然界の力をもつカードによって無垢なるものに返されるなかで、彼はひとつだけ呪うように強く望んだ。
 どんな世界でも、どんな自分でも、必ずあの人の弟として存在していますように。
 覇王龍から分裂した四体のドラゴンが大きく哭いた。



☆☆☆☆

 ああ、そうだ。すべて思い出した。私はあの日弟をひとり残して死んでしまったのだ。
 そして赤馬零王の作り出したリアルソリッドビジョンの技術を用いて質量をもった肉体を生み出され、冥界から呼び戻されたその魂を入れられたのだ。私の体を作り、私の魂を呼び戻したのは覇王龍だった。

 ズァークが四つの命として転生したことで、私の体も四つの次元それぞれに作られた。スタンダード次元でユート、ユーゴを見たときに記憶が混濁したのは、魂が一つしかなかったためだろう。
 私は仮初の存在だったわけだ。世界が統合されるまでそんなこと忘れて、気づかずに過ごして。この魂は弟となんてことのない平和な日常を送る夢をのんきに見ていたにすぎなかったのだ。あの子を苦しみから解放してやることすらできないまま。

 アークファイブ次元が消えるとき、私も一緒に消えてしまおう。元は無理につなぎとめていたものだ。あるべきものを、あるべきところへ返す。自然の摂理に従おう。
 きっとあの子たちはもう大丈夫だから。私がいなくても傍にたくさんの仲間がいる。

「どうしてそうやって一人で決めちゃうんだよ。俺の想いを聞いてくれよ、姉貴」

 悲痛な嘆きだった。どうも自分は「姉」と呼ばれることに弱いらしい。
 そっと心の鍵を開けると、懐かしくて愛おしい顔が並んでいた。彼らはズァークであり、新しいそれぞれの命であり、からっぽな私の大切な家族だった。

姉と笑って過ごしたい」
「姉さんと幸せに暮らしたい」
「ねーちゃんと家族でいたい」
とずっと一緒にいたい」

 それは、遊矢の願いで、ユートの祈りで、ユーゴの望みで、ユーリの呪い。
 私をこの世界につなぎとめた思念だった。

「これが俺たちの、ズァークの想いだよ。姉、お願いだから戻ってきてよ。もう二度と失いたくない。それに、俺たちがそれぞれの命としてこれまで人生を歩んできたように、姉だってどの世界のみんなとも関わって生きたじゃないか。きっと、それはもう新しい命なんだよ」

 四人の弟たちから手を伸ばされる。こちらに来いと。

「本当に、いつまでも手間のかかる弟たちだな」

 まだ結婚もしてないし、もう少しだけ家族でいてあげてもいいかな。
 あたたかい手に導かれて、私は新しい命としてペンデュラム次元で再生した。



☆★☆★☆

 カーテンの隙間からこぼれてくる朝の光から逃れようと、布団を深くかぶる。ああ、あったかい。まだ気温も高くないこの時間帯に、布団のぬくもりから抜け出すことはできない。かたく瞼を下ろした時だった。とてつもない重量感が腹の上にのしかかる。ぐっ、息が苦しい。

「もう、姉まだ寝てるの? いい加減起きなよ」
「仕方ない、姉さんは朝に弱いんだ。もう少し寝かせてやれ遊矢」
「んなこと言ってももう九時だぜ? ユートはすこし甘すぎるっつの」
「馬鹿だねユーゴ。と同衾できるチャンスだって気づかないの」
姉と同衾!? ……ってどういう意味だよ、ユーリ」

 う、うるさい。朝からかなりうるさい。意味のないことだと知っているが、たまらず布団のなかで耳をふさぐ。ペンデュラム次元に来てからというものの、ほぼ毎日こんな一日を迎えている。

 遊矢に統合されたはずのユート、ユーゴ、ユーリは彼のなかでひっそりと個として存在していた。実体があるわけではないし、ましてやその声が他者に聞こえることはない。
 しかし私の頭のなかでは彼らの声が響くのだ。一度遊矢に幻聴が聞こえると相談したところ「まあ、俺だけ話せるってのも不公平だし……姉もみんなと話せてうれしいでしょ?」と微笑まれてしまった。なんというポジティブシンキング。思いきって見習わないことにします。

「あーもう、うるさいから目が覚めちゃった。起きるからどいて」
「ねえ、同衾ってどういう意味?」
「どいて」

 未だ寝具に乗りつづける遊矢を突き飛ばして自由を確保する。この時間に起きたのは正解だったかもしれない。今日という休日は約束があったのだ。いそいそと支度を始める私には白い目が向けられる。

「まーたLDSに行くの」
「そう。日美香さんと約束してるからね」

 学校が休みの日を利用してズァーク――の魂を封じ込めた零羅に会いに行くようになった。特別なにかをするわけではない。ただあの子の魂が穏やかに、安らかにあることを見守っていたいだけだった。
 遊矢は複雑そうに首をひねってから、「俺もついていっていい?」と控えめに尋ねてきた。こればっかりは私に決定権はないからな。とりあえず零児くんに連絡をいれてみようと通信機に手をかけると、目ざとくなにかを察知した遊矢に奪われる。

「……姉、これなに?」

 ”いつでも来てくれてかまわない。零羅も母さんもきっと喜ぶだろう。が家族になってくれたらもっと喜ぶと思うのだが。”

 通信機に映し出された文面をたよりに記憶をたどらせる。なに、と言われても。たしか事前に零羅へ会いにいく許可を零児くんにとったときのものだったはずだ。ただ、その文章をどう解釈するのが正解なのかわからないまま返信を放置してしまっている。

「最近日美香さんと仲良くなったからね。お世辞じゃない」
「だめだ。俺にはこういったことに覚えがある。まわりから囲い込むやり方をする男は卑怯だ」
「やり方が陰湿だよね」
「それお前が言うのか……?」
姉、結婚しないって言ってたのに」

 信じられない、といった風に非難されるがそんな筋合いはない。少なくとも今の私もその予定はない。そもそもいつの話をもちだしているのか。「一生独身でいろってか」と悪態をつけば、「当たり前だろ!」と四重奏で殴られる。
 家族ですごす夢のような日々を素直に享受するのは、まだちょっとだけ気恥ずかしかったりするのだった。

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